ラテン語rhetoricaの訳語で、修辞法、美辞学ともいう。元来は古代ギリシア・ローマにおける口頭散文の表現技術をさしたので、この意味では雄弁術、弁論術、弁辞学などの訳語も用いる。広義の修辞学は紀元前5世紀、シラクサのコラックスCoraxに始まるとされ、ついでプロタゴラス、ゴルギアスらアテネのソフィストの活躍があり、前4世紀、アリストテレスの『修辞学』で初めて体系化された。その後継者テオフラストス、デメトリウスDemetriusらを経て、修辞学はことにローマ時代、バルロVarro、キケロ、セネカ、クィンティリアヌスらの手によって大きく発展した。
古代の修辞学は、議会などにおける演説、裁判などにおける論争、ひいては日常の座談などで聴衆をひきつけ、相手を説得するための技術の研究で、初め多くは、発声法、身ぶり等を含む言語表現の様式の分類であったが、時代が下るにしたがって分類法も理解も精緻(せいち)となり、詩学との関連を密にしながら、霊感や話者の個性や聴衆に与える心理的効果などをも分析するに至った。中世に入ると修辞学は、文法、論理学、音楽、算術、幾何学、天文学とともに「自由七科」とよばれる中等教育の教科目の一つとなり、中世教養人、とくに僧侶(そうりょ)の基本的学問として重視されるようになった。この伝統は中世以後も長く西欧世界を支配し、20世紀初頭にまで及んだが、その後、修辞学という呼称は急速に用いられなくなってきている。とはいえ、先人たちが対象とした文章法そのものは、文法をはじめ、言語学、文体論、意味論、音韻論、ひいては文章作法のなかに部分的に生き続けており、逆に考えれば、これらの近代諸学の未分化の状態が修辞学であったともいえよう。またレトリックrhétorique(フランス語)、rhetoric(英語)ということばは、上記の意味合いのほかに、内容空疎な美辞麗句の羅列ないし詭弁(きべん)の意味に用いられることも多いが、これはギリシア時代の後期ソフィストや17世紀の修辞的作家集団にもみられたことで、修辞学の偏向した一面を示している。
中世以降の伝統的な修辞学の内容は、(1)発想法、(2)比喩(ひゆ)的表現法、(3)統辞法、(4)音韻論などの研究に大別しうるが、そのうちもっとも特徴的なものは比喩的表現法で、直喩、隠喩、風喩(ふうゆ)、換喩、転喩、提喩、声喩、換称、反語、反用などに、手際よくみごとに分類整理されている。
[小林路易]
日本でも、明治時代になると、西洋修辞学の影響を受けて、文章を書くのに役だつような表現技法が研究された。最初のうちは、英米の修辞学の紹介であったが、しだいにそれを消化し、独自の体系を打ち立てるに至った。その代表は五十嵐力(いがらしちから)の『新文章講話』(1909)である。五十嵐がそこでもっとも重点を置いて説いているのが、文章修飾論、つまり修辞法(レトリック)である。彼は、独自の心理学的見地にたって、約50種の修辞法を、次のような八つの系統に分類している。(1)直喩法、隠喩法、風喩法などのレトリックで、たとえを用いることにより事物を鮮明に写し出す技法、(2)希薄法、美化法で、事物をおぼろに朧化(ろうか)して写し出す技法、(3)引用法、重義法(懸詞(かけことば)を用いる)などで、事柄に関係のある事物を付け加えることにより意味内容を豊かにする技法、(4)挙隅(きょぐう)法(一部分を提示して全体を推測させる)、省略法などで、言い尽くさずに一部を省いて、読者の想像に補わせる技法、(5)漸層(ぜんそう)法(一歩一歩クライマックスに向けて叙述を高める)、連鎖法(しりとり式に語句を続けて叙述を進める)などで、読者の心のなかに入りやすいように言い表す技法、(6)警句法、奇先法(まず奇抜なことばで人を驚かせ、あとに説明をつける)で、思いもかけない表現によって意表をつく技法、(7)反復法、対偶法(対句法)などで、口調がよく、人の感情に順応しやすい表現技法、(8)方便法(醜い事物をことさらに叙述することによって、主要部の美を際だたせる)、遮断法(他の事物を挿入して、文の流れを一時中断する)などで、本来は人の感情に逆らうような表現であるが、それを特別の場合に用いることによって効果をあげる技法である。
このように、レトリックに焦点をあわせて体系的に研究した修辞学は、明治時代に隆盛を誇ったが、大正時代には早くも衰微の兆しをみせた。というのは、いかに巧みに文章を書くかということよりも、いかなる内容を述べるかということのほうが重要であると考えられ始めたからである。しかし、昭和に入ると、ふたたび文章表現に対する関心が高まり、旧修辞学を批判しつつ、新しい時代の文章に即した表現方法を研究する動きがおこった。波多野完治をはじめとするニュー・レトリックの模索である。旧修辞学の掲げた修辞法を、単なる文章の飾りとみるのではなく、自己の思想や感情をもっとも的確に表現する方法であるという観点からの見直しがなされている。
[山口仲美]
『チェンバーズ編、菊池大麓訳『明治文学全集79 明治芸術・文学論集 修辞及華文』(1975・筑摩書房)』▽『クルティウス著、南大路振一他訳『ヨーロッパ文学とラテン中世』(1971・みすず書房)』▽『リチャーズ著、石橋幸太郎訳『新修辞学原論』(1951・南雲堂)』▽『波多野完治著『現代レトリック』(1972・大日本図書)』▽『佐藤信夫著『レトリック感覚』(1978・講談社)』
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…古代ギリシアおよびローマにおける,おもに修辞学を教える弁論家養成のための学校。古代ギリシアでは民主政治の発展とともに政界進出の技能としての弁論術が重視されるようになった。…
…自由学芸とも訳され,思想的源流としては,古代ギリシアの,肉体労働から解放された自由人にふさわしい教養という考え方にさかのぼり,実利性や職業性や専門性を志向する学問と対立する。ローマ末期の4~5世紀に七つの科目に限定され,言語に関する三科trivium,すなわち文法grammatica,修辞学rhetorica,論理学logica(弁証法dialecticaと呼ばれることもある)と数に関連した四科quadrivium,すなわち算術arithmetica,幾何geometrica,音楽musica(もしくはharmonia),天文学astronomiaに区分される。これらは本来異教徒の学問であるが,それがキリスト教世界の法学や医学のための基礎科目だけでなく神学の基礎科目となったことは,ヘレニズムとヘブライズムとの融合の具体的あらわれである。…
…しかし大正時代に入ってからは,欧米と歩調を合わせ,短期間の日本のレトリック研究もしだいに消えていった。 なお〈レトリック〉の訳語としては,西周(にしあまね)の〈文辞学〉,尾崎の〈華文学〉,菊池の〈修辞(学)〉,黒岩の〈美辞学〉など,さまざまの例があったが,今日では〈修辞学〉が最も広く用いられている。ただし,明治期に導入された修辞学はたいてい伝統的な総合レトリックではなく,第3部門のみを扱う狭義のレトリックであったから,結果的に,日本語としての〈修辞〉は,総合的なレトリックの全領域をさすよりも,その一部門(第3部門)をさすと考えたほうが適当であろう。…
※「修辞学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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