イタリア南部,ナポリの南東約8kmにある,ナポリ湾に面した古代都市遺跡。現在名はエルコラーノErcolano。紀元79年のベスビオ山噴火によって埋没した。火山灰・礫の堆積したポンペイと異なり,火山性泥流によって約30mもの厚さに覆われたため,保存状態はポンペイよりも良好である。ただし泥流は固い凝灰岩となり,18世紀以降その上に住宅が建設されたため,全域の発掘は困難である。
ヘラクレスに関する伝承にその名が由来するこの町は,ギリシア都市キュメKymē(ラテン名クマエCumae)とエトルリアの都市カプア,それにカンパニア地方の諸都市との交易によって発展した。前5世紀,それまでのオスキ人に代わってサムニウム人の支配下に入り,第2次ポエニ戦争以降は,ローマの影響を受けるようになる。しかし,政治上ローマ都市となるのは前89年ディディウスに占領され,ローマ自治市となってからである。このときから,ローマからの移住者が増え,市内および周辺に多くの豪壮な別荘が建築された。後63年の大地震で被害を受け,復旧に努めたが,後79年火山噴火によって歴史上から姿を消した。
1709年,偶然にこの都市は発見され,36年より公的な発掘が開始された。まだ都市の数分の1しか発見されていないが,明らかとなったおもな事柄は以下の通りである。住宅は,ポンペイよりも保存状態が良く,また,より都市化の進んだドムス(一戸建て)形式である。その中には〈パピルスの別荘〉のごとく,カエサルの義父ピソ・カエソニヌス所有と推定される別荘も含まれ,同荘出土のエピクロス派哲人フィロデモスPhilodēmos(前110ころ-前40ころ)の著作のパピルス巻物は文献学資料として重要である。また,多くの住宅が壁画で飾られており,ポンペイの壁画より優れた作品が数多くある。壁画に見られる洗練性は,彫刻,家具,工芸品にも共通し,ポンペイと社会基盤の異なることを示している。人口は最盛期5000人程度であったと考えられるが,2階建て,3階建ての住宅もあり,十分には解明されていない。〈二百年祭の家〉から十字架に組んだ木枠が出土したことから,キリスト教徒の存在を想定する説もあるが,まだ多くの学者は否定的である。出土品の多くはナポリ国立考古学博物館のほかヨーロッパの諸美術館に所蔵されている。
執筆者:青柳 正規
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イタリア南部、ベスビオ火山西麓(せいろく)にあった古代都市。ヘルクラネウムはラテン名で、ギリシア名ヘラクレイオンHērakleion、イタリア名エルコラノErcolano。現在のエルコラノはカンパニア州ナポリ県の町で、人口5万4699(2001国勢調査速報値)、古代都市の跡に位置する。1997年にポンペイ、トッレ・アヌンツィアータとともに世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
古くよりオスク、サムニウムなどのイタリア系民族が居住したが、やがて紀元前6世紀にギリシア人が植民してギリシア風の都市となり、ネアポリス(ナポリ)の影響下に入った。名称は、ヘラクレスを守護神としたことによる。一時ヌケリアに支配されてサムニウムの同盟に入ったが、カンパニアに進出したローマに服し、これと同盟して前1世紀に自治都市となった。当時の人口は約5000だがローマ市民の別荘地として繁栄し、公共建築や瀟洒(しょうしゃ)な邸宅が建てられた。紀元後79年8月24日ベスビオ火山の大爆発により熱泥流に襲われ、ポンペイとともに一瞬のうちに埋没した。その後復興されず、覆土の上に集落ができていたが、1927年に正式に発掘が始まり、古代史の解明に貴重な資料を提供している。
[松本宣郎]
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