ビトラ(読み)びとら(その他表記)Bitola

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビトラ」の意味・わかりやすい解説

ビトラ
びとら
Bitola

北マケドニア共和国南部の都市。ペラゴニアPelagonija峡谷南部、標高600メートルに位置する。市の西側にはペリステル山(標高2601メートル)がそびえる。面積1798平方キロメートル。人口8万4400、地区人口11万7600(2003推計)。旧ユーゴスラビア時代に使用されたセルビアクロアチア語ではビトリBitoli。地区の人口の90.9%をマケドニア人が占める(1994)。オスマン帝国支配下にあった時期には、修道院を意味するトルコ語名モナスティールMonastirとして知られた。高原上にあるので、最良の牧草地に恵まれ牧畜が盛ん。穀物タバコアカネケシが栽培されている。金属皮革、じゅうたん製造の工業もある。伝統的に通商の拠点として栄え、往時には12か国の領事館が存在していたといわれる。学校も多く、オスマン帝国の改革者として有名なケマル・アタチュルクも、ここの軍事アカデミーで教育を受けた。19世紀末にはテッサロニキにつぐ革命運動の拠点となった。しかし、第二次バルカン戦争後にマケドニアがギリシア、セルビア、ブルガリアによって分割され国境が設定されると、ほかのバルカン諸国とのつながりは断たれた。第二次世界大戦後の市街地復興に際しては、伝統的建築物の保存が配慮されたため、いまも往時の繁栄をしのぶことができる。北マケドニア共和国の電力の8割は火力発電によってここから供給されている。

[大庭千恵子]

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改訂新版 世界大百科事典 「ビトラ」の意味・わかりやすい解説

ビトラ
Bitola

マケドニア南西部の都市。セルビア語ではビトリBitolj。人口9万5000(2004)。ギリシア時代のヘラクレイアHērakleia近くに11世紀にスラブ人がこの町を造った。1382-1912年はオスマン帝国が支配し,モナスティルMonastirとよばれた。早くから商業・交通・文化の中心地として栄え,東方問題との関連で戦略的にも重要な町となり,多くの公使館が置かれた。第2次大戦後は金属,食品,繊維など工業が発達した。大学,劇場,博物館,モスクがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビトラ」の意味・わかりやすい解説

ビトラ
Bitola

北マケドニア南端の都市。セルボ=クロアチア語ではビトリ Bitolj,トルコ語ではモナスティル Monastir。首都スコピエに次ぐ第2の都市。標高 615mの高台にあり,ペラゴニア地方の経済,文化の中心地。スコピエとギリシア方面を結ぶ交通の要地でもある。バルカン戦争(1912~13)により 500年にわたるオスマン帝国の支配から脱した。金属,食品,皮革,繊維,たばこ工場などがある。周辺部は穀物,タバコを産する農業地帯。人口 7万1890(2016推計)。

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百科事典マイペディア 「ビトラ」の意味・わかりやすい解説

ビトラ

マケドニアの南西部の都市。ギリシアとの国境に近い同国最南端の都市で,標高615mの所に位置する。ギリシア人がつくり,ローマ時代にはヘラクレア・リンセスティスと呼ばれた町の近くに,スラブ人によって建設された町で,オスマン帝国時代にはモナスティルと呼ばれていた。首都のスコピエとギリシアとを結ぶ主要道路上に位置する交通の要地で,この地域の商工業の中心となっている。人口7万2400人(2013)。

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