日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビルズ・オンリー政策」の意味・わかりやすい解説
ビルズ・オンリー政策
びるずおんりーせいさく
bills only policy
公開市場操作の対象となる国債を財務省証券Treasury billsに限定する政策をいい、1953年から61年までアメリカにおいて実施された。ビルズ・オンリー政策は、第二次世界大戦から戦後にかけて行われた国債価格支持政策に対する反動として生じた。連邦準備当局は、戦後も財務省の要請で、国債の市場価格の低下と利回りの上昇を防ぐために国債の買支え操作を行っていたが、この操作は戦後のインフレ抑制のための金融引締め政策と矛盾した。この矛盾は1951年3月の財務省と連邦準備当局間の合意によって解決する態勢が整った。そこで連邦公開市場委員会は1953年3月に、公開市場操作を銀行準備金に与える影響を通して金融政策の目的にのみ役だたせるという方針のもとに、国債市場に混乱が生じた場合のほかは公開市場操作の対象を短期国債に限定することを公表した。その対象に財務省証券(3か月物)が選ばれたのは、期限が短いうえに市場での取引高がいちばん大きいから、財務省証券での公開市場操作は、国債市場に対して与える衝撃がもっとも少なく、したがって国債市場の改善に役だつというのが主要な論拠であった。ビルズ・オンリー政策は、中・長期資金市場に対する影響が弱すぎるなど、多くの批判を受けながら維持されていたが、1961年1月にケネディ政権が登場し、金利構造に介入する二重金利政策を打ち出したために、連邦公開市場委員会は同年2月にビルズ・オンリー政策を一時的に中止し、12月には廃止した。
[伊東政吉]
『伊東政吉著『アメリカの金融政策』(1966・岩波書店)』▽『井田啓二著『国債管理の経済学』(1978・新評論)』