ファンデルフース(英語表記)Hugo van der Goes

改訂新版 世界大百科事典 「ファンデルフース」の意味・わかりやすい解説

ファン・デル・フース
Hugo van der Goes
生没年:1440ころ-82

フランドル画家。1467年ヘントで自由親方に登録。68年ブリュージュでブルゴーニュ公シャルルの結婚式の装飾を担当する。75年アウグスティヌス会のローデ修道院に助修士として入会。ケルンへの旅行途上,精神病の発作で帰国,以後同病に苦しむ。彼のどの作品にも署名はないが,フィレンツェ商人の注文になる《ポルティナーリPortinariの祭壇画》は記録上1475年か76年と定められうるため,他の作品もこの祭壇画の様式に基づき制作年代が推定される。同祭壇画は人間と空間との相互関係,野性的で力強い羊飼いの表情や動作,聖人と同席する寄進者とその家族など,その新しい表現形式はイタリアの地にあってギルランダイオなどに大きな影響を与えた。また《聖母の死》は病床に集まった使徒の精神的動揺を赤,青,白を主体とした特異な色調で描き,絵画史上注目される。
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百科事典マイペディア 「ファンデルフース」の意味・わかりやすい解説

ファン・デル・フース

フランドルの画家。ファン・アイクファン・デル・ウェイデン以後の初期ネーデルラント絵画の代表的画家で,その精細な写実と新鮮な構図は同時代の画家に大きな刺激を与えた。晩年は修道士生活のかたわら傑作を残している。代表作ポルティナーリ祭壇画》(1475年―1480年,フィレンツェ,ウフィツィ美術館蔵)は,フィレンツェの銀行家ポルティナーリから依頼されたもので,1488年フィレンツェにもたらされ,ボッティチェリをはじめとする初期イタリア・ルネサンスの画家たちに大きな影響を与えた。
→関連項目ダーフィト

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世界大百科事典(旧版)内のファンデルフースの言及

【フランドル美術】より

…カンピンの弟子と推定されるブリュッセルのR.ファン・デル・ウェイデンは,中世美術の宗教的力を新しい写実主義と結びつけ,主の〈受難〉を悲しむ人々の憔悴ぶりや頰を伝う涙などをありありと描いて,劇的表現力に満ちた作品を生み出した。15世紀後半に目を移すと,代表的画家のうち人物の心理的把握に優れたH.ファン・デル・フースは地元ヘントの出身であるが,ルーバンで活動したD.バウツは北部のハールレム出身,偉大な先人たちの作風を繊細甘美で親しみやすいものへと大衆化したブリュージュのH.メムリンクは元来ドイツ人である。初期フランドル絵画の卓越した伝統の吸引力と同化力がうかがわれる。…

※「ファンデルフース」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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