改訂新版 世界大百科事典 「フェランティ」の意味・わかりやすい解説
フェランティ
Sebastian Ziani de Ferranti
生没年:1864-1930
イギリスの電気技術者,発明家。変圧器および交流送配電の実用化に重要な役割を果たした。イタリア系の写真家の子としてリバプールに生まれた。17歳でジーメンス・ブラザース社に入り,ロンドンのユニバーシティ・カレッジの夜間の講義をきいた。おもに独学で科学知識を得た。1882年にジグザグ巻きの交流発電機を考案し,この発電機を製造するための会社をつくった。83年以来ロンドンのグラスベナー・ギャラリーに照明のための配電システムが建設され,そこでは,ゴラールL.Gaulardらの考案した開磁路変圧器を直列接続して使う交流システムが採用されたが,事故続きであった。86年に22歳のフェランティが招かれて,グラスベナー・ギャラリーのシステムを閉磁路変圧器を並列接続して使う方式に変更し,成功をおさめた。今日の送配電はこの方式によっており,これが確立したのはフェランティの成功によるところが大きい。フェランティは,人口密集地域の外で土地・石炭・水の安価なところに大きな中央発電所をつくるのが電力供給に適していると主張し,テムズ川より北側のロンドン全域に電力を供給する計画で87年からデトフォードに10kVの発送配電システムを建設し始めた。10kVという高電圧をはじめとして,デトフォード計画は当時の電気技術者の常識をこえたものであった。フェランティは独自の発電機,変圧器,地下ケーブル,交流用計測器を設計したが,このシステムは完成せず,91年に彼はデトフォード計画から退いた。しかし,油浸紙で絶縁したフェランティ式の10kV地下ケーブルは,1890年代から30年以上も実用された。フェランティは,高圧蒸気タービンの導入にも貢献し,綿紡機の電気駆動を試み,また家庭電化を唱えた。第1次世界大戦後はラジオ機器を製造した。彼が開発した技術は時代にずっと先んじていたので,企業化にあたって必ずしも成功しなかった。
執筆者:高橋 雄造
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報