アメリカの作家スタインベックの小説。1939年刊。作者のみならず1930年代のアメリカ文学を代表する記念碑的小説として,40年のピュリッツァー賞を受賞した。1930年代末に南部アメリカを襲った干ばつと砂嵐を契機に機械化農法を導入した資本家たちと,そのために土地を追われてカリフォルニアに移住した貧窮農民集団との軋轢闘争が素材。この巨大な事実を描くに当たって作者は,移動農民ジョード一家の運命を軸にして作品に筋の統一と劇的な起伏を与えるとともに,農民集団の動静を具象的に描写する章とほぼ交互して,彼らを包摂して動いてゆくアメリカ社会そのものの姿を簡潔に叙述する短章を有機的に挿入する。このことにより,特定集団の現実の浮沈を迫真的に描くと同時に,これをより包括的な社会的・歴史的視野のうちにとらえることに成功した。そこには虐げられた者たちへの同情もさることながら,むしろ人類そのものの歩みに寄せる信頼と,悲運をしのいで生きるたくましい生命への賛歌が鳴っている。日本への紹介も早く,新居格(にいいたる)の訳で1939-40年に刊行。
執筆者:野崎 孝
ジョン・フォード監督のアメリカ映画。1940年製作。《若き日のリンカーン》《モホークの太鼓》(ともに1939)に次いでヘンリー・フォンダが主演,この3連作でスターとなり,アメリカ民主主義の理想を体現した〈オール・アメリカン・ヒーロー〉としてのイメージを築いた。J.フォードの最も脂がのり切った時期の作品の1本で(1938年10月から39年11月までに,《駅馬車》とH. フォンダ主演のこの3連作を製作),初のアカデミー監督賞を受賞し,彼はこれで第一級の監督にのし上がった。〈30年代の小説の中では最もドキュメンタリー風〉の原作に,〈社会派〉のプロデューサー,D.F.ザナックが映画化権を獲得し,脚本(ナナリー・ジョンソン)にも加わった。共和党員でありながら,ローズベルト大統領の親しい友人であったザナックは,社会奉仕に大きな関心をもち,トム・ジョードが家族と別れて去って行った後に,〈民衆は死なない〉と母親(アカデミー助演女優賞のジェーン・ダーウェル)に言わせるラストを自ら撮って付け加えたという。
《怒りの葡萄》の題名は,南北戦争をうたったアメリカの女流詩人J.W.ハウの《リパブリック賛歌》(1862)の第1連に由来し,スタインベックは当初これを小説としてではなく,〈オーキーOkie〉と呼ばれたオクラホマからカリフォルニアへ移住して行く貧民たちをテーマにした一種の〈フォト・ジャーナリズム〉の1冊として企画した。アメリカ記録映画作家の第一人者であり,スタインベックの友人でもあったペア・ローレンツ(《平原を拓く鋤》1936,《河》1937,等)のドキュメンタリズムがこの小説の作風に影響を及ぼしているという指摘の根拠もそこにあり,実際スタインベックはできあがった映画を見て〈まるでドキュメンタリーを見ているようだ〉と喜んだという。撮影のグレッグ・トーランドは〈この農民を描いた映画を,いっさいの作りものなしに,ソフトなイメージに流れないリアルな画面で描こうと思い,移民キャンプのシーン以外はカメラを動かさずに現実を凝視する画面をつくろうとした〉と語っているが,実際ジョード一家のトラックが移民キャンプに入って行くシーンで,一家の〈見た目〉で移動撮影が駆使される以外は,カメラのむだな動きをまったく感じさせない。この〈野ざらし〉の映像は,同じグレッグ・トーランドの撮影によるウィリアム・ワイラー監督《嵐ヶ丘》(1939)の〈ロマンティックな情感豊かな画面づくり〉やオーソン・ウェルズ監督《市民ケーン》(1941)の〈パン・フォーカス撮影によるドラマティックな空間づくり〉とはまったく異質のカメラとして高く評価されている。また,〈オーキー〉たちが当時実際に移動して行った幹線道路〈ルート66〉の実景がとらえられ,主役のフォンダを除けばほとんど無名のキャストで固められ,ノー・メークアップで撮影された。
執筆者:岡田 英美子+宇田川 幸洋
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アメリカの作家ジョン・スタインベックの長編小説。1939年刊。1930年代の経済不況を背景に、オクラホマ州の小作地から追い立てられ、カリフォルニアに楽園を夢み、流れて行く季節労務者ジョード一家を描く。ユダヤ民族がエジプトで捕虜となり、故郷カナーンの楽園を求めて苦しむ『出エジプト記』を踏まえ、資本主義社会の矛盾、機械文明への否定、政治参加、社会意識の目覚めをはらむ。史実をもとにしていたため記録小説とみなされ、反響が大きく、ベストセラーとなったが、アメリカの伝統的農本主義に根ざす作品。文明に背を向け、素朴単純な原始社会への回帰を求める作者の願いが象徴となり、ちりばめられている。
[稲澤秀夫]
アメリカ映画。監督ジョン・フォード。1940年作品。1940年にピュリッツァー賞を受賞したジョン・スタインベックの同名小説の映画化作品。フォードが文学作品を約1時間半の映像芸術へと詩的に翻訳した秀作であり、後の詩的リアリズム手法に大きな影響を与えた、映画史上画期的な作品の一つ。1960年代から1970年代にかけてフランスで起きたヌーベル・バーグの作家主義批評によって、フォード監督の作家性が再評価される基点となった作品でもある。荒々しく広大なアメリカの大地と自然のロングショットと、ナレーションのない沈黙との並置、光と影の構図を巧みに使い、資本と労働、家族と社会、社会構造とそこに根付く不条理とを、映像言語で雄弁に語っている。主演のヘンリー・フォンダは「フォード映画」の顔ともいうべき代表的俳優の一人。1940年のアカデミー監督賞作品。1963年(昭和38)日本公開。
[堤龍一郎]
『大橋健三郎訳『怒りのぶどう』(岩波文庫)』
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…それまでは耕作不可能と思われていた高原地帯も,農業技術の進歩によって十分耕作できるようになったためである。カリフォルニアは西部開拓時代から多くの人びとが憧れた土地で,1930年代にアメリカ中央部の農村が不況と不作に襲われたときも,スタインベックの《怒りの葡萄》(1939)に描かれたように,多くの農民がこのカリフォルニアに移住した。カリフォルニアにも南東部には広大な砂漠地帯があるが,それでもなお全体としては夏涼しく冬暖かい気候,サクラメント川やサン・ワキーン川の沃野,山岳,海岸の自然美など,〈ゴールデン・ステート〉とよばれるのにふさわしい魅力をそなえている。…
…経済の中心は農牧業と石油で,小麦(全米2位,1980),綿花,モロコシ,ピーナッツ,豆類などの大規模栽培が行われる。1930年代の干ばつ時にカリフォルニアへ流出した農民の姿は,スタインベックの小説《怒りの葡萄》(1939)によって知られる。産油量は全米6位(1980)で,20世紀に入って始まった油田開発を契機に,大都市では石油精製,機械,金属,食品加工などの工業が立地する。…
…1929年から端役でブロードウェーの舞台に立ち,《ニュー・フェース》につづく《農夫の妻》(1934)の主役を演じて注目を浴び,その映画化作品《運河のそよ風》(1935)でスクリーンにデビュー。ヘンリー・ハサウェー監督《丘の一本松》(1936),フリッツ・ラング監督《暗黒街の弾痕》(1937),ウィリアム・ワイラー監督《黒蘭の女》(1938),ジョン・フォード監督《若き日のリンカーン》(1939),《怒りの葡萄》(1940)などで〈アメリカの小さな良心〉を体現し,演技力のあるスターとして注目される。42年,海軍に志願して服役したあと,ジョン・フォード監督《荒野の決闘》(1946),《アパッチ砦》(1948)などに出演。…
※「怒りの葡萄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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