フレシネ(読み)ふれしね(その他表記)Eugène Freyssinet

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フレシネ」の意味・わかりやすい解説

フレシネ
ふれしね
Eugène Freyssinet
(1879―1962)

フランスの構造技術者。オブジァに生まれる。鉄筋コンクリート構造物の設計をシャルル・ラビュCharles Rabut(1852―1925)に学び、1907年に中央フランスの道路工事局の技師となり、初期の鉄筋コンクリート造橋梁(きょうりょう)を建造した。1913年、鉄筋コンクリート構造の開発を行っていたリムザン工業会社の主任技師となり、工業関係の建築物や倉庫シェル構造ボールトを用いて設計した。1916年に建設されたオルリーの飛行船格納庫はその代表作品である。またプレストレストコンクリート(PC)工法を考案し、1933年から多層構造物や地下構造に用い多くの大規模土木構造物を実現させた。新しい技術が新しい造形を可能にすることを生涯にわたって実践した。

[藤原恵洋・村松貞次郎

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改訂新版 世界大百科事典 「フレシネ」の意味・わかりやすい解説

フレシネ
Charles-Louis de Saulse de Freycinet
生没年:1828-1923

フランスの政治家。理工科大学を出た後,鉱山,鉄道関係の技師を務め,1876年に政界下院)入りした。議会では穏健共和派に属し,79-80年,82年,86年,90-92年と4次にわたって首相を務めたほか,公共事業大臣,外務大臣陸軍大臣などを歴任した。組織能力にすぐれ,国防政府時代(1871)に内務大臣兼陸軍大臣ガンベッタ片腕として陸軍省再建と国防軍の編制にあたったこと,1878年にガンベッタ,レオン・セイLéon Say(1826-96)の支持と協力を得て,鉄道を中心とする総額60億フランの大規模な公共事業計画(通称〈フレシネ・プラン〉)を立案し,その実施にあたったことなどで知られる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フレシネ」の意味・わかりやすい解説

フレシネ
Freycinet, Charles-Louis de Saulces de

[生]1828.11.14. フランス,アリエージュ,フォア
[没]1923.5.14. フランス,パリ
フランスの政治家。パリのエコール・ポリテクニクに学び,鉱山技師となった。 L.ガンベッタと親交を結び,1876年セーヌ県選出上院議員,以後 1920年まで政治生活をおくった。 1877年土木相となり交通路の整備のための大工事計画を打出し,それが無秩序な投機の対象となった。その後4度組閣 (1879~80,82,86,90~92) し,共和政擁護の調停者としての名声を高め,反教権主義者でもあった。ブーランジスム (→ブーランジェ事件 ) には強く反対。 88~93,98~99年陸相,その間3年間の兵役義務を定めた。アカデミー・フランセーズ会員。

フレシネ
Freyssinet, Eugène

[生]1879.7.13. オブジャ
[没]1962.6.8. サンマルタンベシュビ
フランスの建築技師。エコール・ナシオナル・デ・ポン・エ・ショセで,鉄筋コンクリート建築のパイオニア,C.ラビュに師事。彼の作品オルリーの2つの飛行船格納庫 (1916~24) は,第2次世界大戦中に破壊された (44) が,鉄筋コンクリートの高さ 60mの放物線状ボールトを主構造とし,構造上の革新を合理的に行い,デザインと調和させた点で,R.マイヤールや P.ネルビの先駆をなすものである。

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367日誕生日大事典 「フレシネ」の解説

フレシネ

生年月日:1779年8月7日
フランスの海軍軍人,探検家
1842年没

フレシネ

生年月日:1828年11月14日
フランスの政治家
1923年没

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