ガンベッタ(読み)がんべった(英語表記)Léon Gambetta

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ガンベッタ」の意味・わかりやすい解説

ガンベッタ
がんべった
Léon Gambetta
(1838―1882)

フランスの政治家。第三共和政初期を代表する共和主義者。第二帝政末期、法曹界から政界に入り、1869年に下院議員、1870年、プロイセンフランス戦争で帝政が倒れたとき、国防政府に加わり、パリから軽気球脱出抗戦に努めた。1871年から下院議員、以後、第三共和政の確立に尽くし、1877年には王党派の動きを抑えた。共和政の定着につれて、妥協的で時宜にかなった政策をとり、それは「オポルチュニスム」とよばれた。1879~1881年に下院議長、1881年11月に首相となったが、選挙制改革を目ざして反対され、翌1882年1月辞任。拳銃(けんじゅう)暴発(情人とのいさかいの際ともいう)がもとで急死した。演説集、書簡集がある。

[山上正太郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ガンベッタ」の意味・わかりやすい解説

ガンベッタ
Gambetta, Léon

[生]1838.4.3. ロート,カオル
[没]1882.12.31. オードセーヌ,ビルダブレー
フランスの政治家。初め弁護士として共和主義の立場から第二帝政政府を激しく攻撃,異彩を放った。ベルビル綱領 (普通選挙制の実施,自由の保障,教会と国家の分離を訴える) を定めて 1869年議員となり,反政府運動を展開。第二帝政崩壊後,国防政府の内務相として抗戦継続を主張したが,パリが包囲されるに及び気球でパリを脱出。第三共和政後は君主政主義者に反対する L.ティエールを支持し,共和主義者連合を指導,新聞『フランス共和国』を創刊 (1871.11.) 。共和政確立後は機会主義と呼ばれる現実主義政策を主張,77年5月の反動クーデターの失敗に続く共和派の勝利により下院議長に就任 (79~81) 。 81年の選挙では共和主義者連合の勝利によって首相となり,帝国主義政策を推進したが,急進派の攻撃によって短時日辞職 (82.1.) 。

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