日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブラティアヌ」の意味・わかりやすい解説
ブラティアヌ
ぶらてぃあぬ
Brǎtianu
ルーマニアの政治家の家名。(1)ヨン・C・ブラティアヌIon C. Brǎtianu(1821―91) 「ルーマニアのビスマルク」とよばれる。ワラキアのピテシュティに生まれ、パリに学んだ。「一八四八年の革命」には帰国して重要な役割を演じた。敗北してパリに逃れたが56年に帰国、二公国統一後の66年に自由党を結成し、76年に首相になり、短い中断を挟んで12年間その地位にあった。(2)ヨン・C・ブラティアヌIon C. Brǎtianu(1864―1927) (1)の長男。同名で紛らわしいので、ヨネルIonelとよばれた。1895年に内相に、1909年に自由党党首に就任し、それから死去するまで断続的に通算15年近く首相を務め、その間第一次世界大戦を戦い、戦後のパリ講和会議で自国の領土拡張に尽力した。(3)コンスタンティン・ブラティアヌConstantin Brǎtianu(1866―1952?) 通称ディヌDinu。(1)の次男。ブラティアヌ家の経済面を主として担当していたが、1933年に自由党党首となり、民族農民党マニウとともに、国王カロル2世の独裁に反対し、第二次世界大戦末期には共産党とともにアントネスク政権に対するクーデターに参加した。戦後の二つの内閣に無任所相として入閣したが、ソ連派のグローザ内閣への入閣は拒否し、50年に逮捕され、獄死した。(4)ビンティラ・ブラティアヌVintilǎ Brǎtianu(1867―1930) (1)の三男。1922年に蔵相となり、兄ヨネルの死後27年に首相に就任したが、政治・経済危機に対処しきれず、28年に辞任した。
[木戸 蓊]