日本大百科全書(ニッポニカ) 「ランゲ」の意味・わかりやすい解説
ランゲ(Oskar Richard Lange)
らんげ
Oskar Richard Lange
(1904―1965)
ポーランドの代表的経済学者。ワルシャワ近郊のトマシュフの織物工場主の家に生まれる。ポズナニ、クラクフの両大学に学んだ。1927年ポーランド社会党に入党。1931年クラクフ大学講師となったが、1934年ロックフェラー財団奨学金を得てイギリス、ついでアメリカに渡り、ミシガン、カリフォルニア、スタンフォードの各大学講師を経て、1938年シカゴ大学準教授、1943年同教授。1945年帰国し、初代駐米大使、国連安全保障理事会ポーランド代表を務めたのち、1947年国会議員となり、1948年以降、統一労働者党中央委員。1955年には国家評議会評議員となり、1957年から同議長代理。この間1952年に科学アカデミー会員に選ばれ、1956年以降ワルシャワ大学経済学部教授。その他、政府の経済審議会会長を務めたほか、インド、スリランカ、エジプト、イラクの政府顧問として経済計画立案を助けるなど、多面的な活動を行った。10月2日、ロンドンで死去。
ランゲの学問的業績としては、まず論文「社会主義の経済理論」(1936~1937)で分権的社会主義経済の可能性を1930年代に早くも論証したことがあげられる。また、『価格伸縮性と雇傭(こよう)』(1944)は、ケインズの『一般理論』を精密化した労作として高く評価された。第二次世界大戦後のスターリン時代には、一時マルクス主義的立場をより鮮明にしたが、スターリン批判後、ポーランド「経済モデル」論争に指導的役割を果たした功績は大きい。晩年はサイバネティックス、システム論の研究を続け、『経済サイバネティックス入門』(1965)、『システムの一般理論』(1965)などを著した。その生涯と業績は、論文集『経済発展と社会の進歩』(1961)邦訳巻末の都留重人(つるしげと)「オスカー・ランゲを悼む」と著作目録に詳しい。
[佐藤経明 2019年2月18日]
『安井琢磨・福岡正夫訳『価格伸縮性と雇傭』(1953・東洋経済新報社)』▽『佐伯道子訳『経済サイバネティクス入門』(1969・合同出版)』▽『鶴岡重成訳『システムの一般理論』(1969・合同出版)』▽『都留重人他訳『経済発展と社会の進歩』(1970・岩波書店)』
ランゲ(Christian Lous Lange)
らんげ
Christian Lous Lange
(1869―1938)
ノルウェーの国際主義者。スタバンゲルに生まれる。オスロ大学で歴史、語学を学ぶ。中等学校教師を経て、1899年にはオスロで開催された列国議会同盟の準備委員会の委員長を務め、そのときの管理能力が買われ、翌1900年、ノルウェー国会が選出するノーベル平和賞選考委員会の事務局長に就任した。以後、彼は選考委員を務めるなど、終生ノーベル平和賞にかかわった。一方、列国議会同盟においても、1909年に事務局長に就任、1933年まで務めた。第一次世界大戦で同盟本部のあるベルギーのブリュッセルがドイツ軍の侵攻を受けたが、戦時下も組織の維持に努めた。1921年、発足したばかりの国際連盟への貢献を評価され、スウェーデンのブランティングとともにノーベル平和賞を受賞した。ランゲはその後も国際連盟でノルウェー代表として積極的に活動し、日中間の軍事衝突など、数多くの国際紛争の解決、および軍縮問題に力を注いだ。
[編集部]
ランゲ(Konrad Lange)
らんげ
Konrad Lange
(1855―1921)
ドイツの美学者。美は錯覚によって生じるとする幻想美学を主張した。ゲッティンゲンに生まれ、ゲッティンゲン、ケーニヒスベルク、チュービンゲン各大学教授を歴任。当時の経験主義的実証主義の影響のもとで、従来の形而上(けいじじょう)学的美学に反対し、心理学的方法による考察を行ったが、感情移入説や連合理論にはくみしなかった。美的快は「意識的自己欺瞞(ぎまん)」、すなわち現実と仮象の間を意識が揺れ動くところに成立するとした。主著に『意識的自己欺瞞』Die bewußte Selbsttäuschung(1895)、『芸術の本質』Das Wesen der Kunst(1901)などがあり、また『現在と将来の映画』Das Kino in Gegenwart und Zukunft(1920)は初期の映画論の一つである。
[川上明孝 2015年4月17日]
ランゲ(Friedrich Albert Lange)
らんげ
Friedrich Albert Lange
(1828―1875)
ドイツの哲学者。ボン大学に学び、のち同大学私講師。やがてチューリヒ大学を経てマールブルク大学教授となる。彼の著作『唯物論史および現代における唯物論の意味批判』(1866)は名が高く、これによって新カント学派の先駆者とされている。カントの哲学をふたたび生き返らせようとするのだが、認識の普遍妥当性の根拠の解釈など多分に心理主義的である、とされ、カントの哲学を正しく生かしきれたとはいえない。ほかに社会問題についての著作もあり、実際に一時活動家でもあった。上掲のほかに『Die Arbeiterfrage』(1865)などがある。
[武村泰男 2015年4月17日]
ランゲ(カナダの小説家)
らんげ
Ringuet
(1895―1960)
カナダの小説家。フランス系。トロア・リビエール生まれ。本名フィリップ・パヌトンPhilippe Panneton。多彩な活動をした文化人で、医師、南米のプレ・コロンビアン遺跡の調査(『彼らの一大帝国』)、旅行家、外交官(駐ポルトガル大使)などの経歴がある。作品としては、克明な観察による自然主義風の小説『30アルパン』30 Arpents(1938)が代表作で、フランス系カナダの農民の土地に対する執着と、冷酷な人間の打算を描いた。
[西本晃二]
ランゲ(Horst Lange)
らんげ
Horst Lange
(1904―1971)
ドイツの詩人、小説家。リーグニッツ生まれ。画家を志してバウハウスに所属したが、のちベルリンで文学サークル「コロンヌ」に加わる。処女詩集は『夜の歌』(1928)。第二次世界大戦に工兵として従軍、モスクワ戦線で重傷を負う。詩集のほか、小説『黒い柳』(1937)など初期の作品にはオーデル河畔の故郷の風土と自然に根ざすものが多いが、小説『消えかけた火』(1956)のような戦後の散文作品には戦争体験の重さがうかがわれる。
[青木順三]