スイスのプロテスタントの神学者。12月23日チューリヒの東北ウィンタートゥールに生まれる。大学卒業後イギリスで高校教師をしたのち、1924年からチューリヒ大学の組織神学と実践神学の教授。バルトらの初期の弁証法神学の運動に参加、シュライエルマハーを批判した『神秘主義と言葉』(1924)を発表した。自然神学の可否をめぐってバルトと論争し、神と人間の結合点として理性を認めた『自然と恩寵(おんちょう)』(1934)を刊行、バルトから『否(ナイン)』という論文で反論を受けた。以来バルトとしばしば論争し、バルトの敵(かたき)役との見方もある。実践的宣教活動にも熱意をもち、1953~1955年(昭和28~30)には来日して国際基督(キリスト)教大学教授として教え、広い影響を与えた。『出会いとしての真理』(1938)、『教義学』全3巻(1946~1960)など多くの著書を残した。4月6日チューリヒにて死去。
[小川圭治 2018年1月19日]
『E・ブルンナー著、後藤安雄訳『弁証法神学序説――体験・認識及び信仰』(1935・岩波書店/1973・福村出版)』▽『弓削達訳『聖書の「真理」の性格――出会いとしての真理』(1950/訂正版・1956・日本基督青年会同盟)』▽『ブルンナー著、大木英夫訳『我は生ける神を信ず――使徒信条講解説教』(1962・新教出版社)』▽『エーミル・ブルンナー著、川田殖・親之訳『キリスト教と文明の諸問題』(1982・新教出版社)』
スイスのプロテスタント神学者。20世紀のキリスト教思想界をリードした弁証法神学の創始者のひとり。1924-53年チューリヒ大学の組織神学および実践神学の教授,同大学総長もつとめた(1942-44)。クッターH.Kutter,ラガーツL.Ragazらの宗教社会主義の影響下に思想形成を始め,やがてシュライエルマハー以来の人間中心,体験重視の近代神学を批判して,K.バルトらとともに神中心の啓示神学を唱導した。のちバルトと決別したが(自然神学論争),その争点は人間に啓示と結びつく能力〈結合点Anknüpfungspunkt〉があるか否かの理解の差異にあった。ブルンナーはこれを肯定し,堕罪によってもなお形式的〈神の像(イマゴ・デイimago Dei)〉は残存しているとした。ここに見られるのは,ブルンナー神学における人格主義的要素と自然神学的要素である。前者は,真理を教理の中にではなく神と人との出会いの現実の中でとらえようとする(《出会いとしての真理》1938)。後者は,自然法を導入した社会倫理を構築させ(《正義》1943),他方,その神学に弁証的・宣教的な性格を与えている。チューリヒ大学を辞任して国際基督教大学の客員教授として来日したのも(1953-55),そうした神学の表現であった。主要著作には上掲のもののほか《仲保者》(1927),《命令と諸秩序》(1932),《自然と恩寵》(1934),《矛盾における人間》(1937),《教義学》(1946-60)などがある。
執筆者:小倉 義明
オーストリア出身のドイツの法制史学者。ウィーン大学で法学と歴史学を学び,ドイツに留学してG.ワイツについて国制史を研究したのち,1866年レンベルク大学員外教授(1868年正教授),70年プラハ大学,72年シュトラスブルク大学を経て,74年ベルリン大学教授を歴任した。ドイツの法制史学界では指導的な地位を占め,新しい理論が彼の概説書に採用されると,その理論は通説の地位を与えられるといわれ,〈通説作成者〉の名もある。いわゆる〈古典理論〉の集大成者として知られ,その理論はきわめて精密かつ明晰であるが,30年代以降いろいろの批判に曝されてきた。しかし現在でも,彼の理論を無視して法制史の諸問題を論ずることは不可能であり,この意味では,彼の理論は今でも生き続けている。主著は《ドイツ法制史》2巻(1887,92)であるが,これは初期中世(フランク時代)で叙述が中断されており,その後の時代についての彼の見解を知るには《ドイツ法制史大要》(1901)を見るのが便利である。
執筆者:世良 晃志郎
ドイツの歴史家。オーストリアのメードリングに生まれ,ウィーン大学に学ぶ。1929年ウィーン大学私講師,41年同教授。一時教職を離れたのち,54年からハンブルク大学教授となる。戦後ドイツ史学の一潮流である社会史的国制史研究の開拓者。代表作《ラントとヘルシャフト》(1939)は,ドイツ中世国家史に関する19世紀以来の〈古典学説〉を実証的にも理論的にもくつがえし,近代国家と異なる新しい中世的政治社会の構造を明らかにした。
執筆者:山田 欣吾
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1889~1966
スイスの神学者。シュライエルマッハーのような感情的神学に反対し弁証法神学を樹立。神と人の邂逅(かいこう)を,生きた現実のなかでとらえることを主張。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…その後A.vonハルナックとも争って,漠然とイエスの宗教に帰ることではなくて聖書の啓示概念から出発すべきことを説いた。F.ゴーガルテンはこれに共鳴して《我は三一の神を信ず》(1926)を著し,E.ブルンナーは《神秘主義と言葉》(1924)を著した。さらにE.トゥルナイゼンやメルツG.Merz(1892‐1959)も加わって,1922年に雑誌《時の間》を刊行した。…
…経済史の側では,ほぼこの概念は領主的土地所有とそれに基づく借地農民の収奪の仕組みであると理解され,それが例えば,初期中世の修道院領のように,賦役労働による領主直営地経営(ビリカチオン制)を伴う場合には,とくに〈古典的〉グルントヘルシャフトとよんで後代の地代荘園型グルントヘルシャフトと区別される。また国制史の側では,しばしばこの概念は聖俗領主の〈支配〉体制そのものを表すのに用いられ(例えばオットー・ブルンナー),この場合には,それは単なる当該領主の所領組織ではなく,それを一つの基礎としつつもより包括的な社会・政治的支配構成体=領主支配圏(ヘルシャフト)を意味するものと考えられている。グーツヘルシャフト領主制【山田 欣吾】。…
※「ブルンナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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