デジタル大辞泉
「ウェルス」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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ウェルス
Verus, Lucius Aurelius
[生]130.12.15.
[没]169
ローマ皇帝 (在位 161~169) 。前名ルキウス・ケイオニウス・コンモドゥス。同名である自分の父をハドリアヌス帝が後継者 (ハドリアヌスの庶子と推定される) と定めていたが,父が没したため,ハドリアヌスはアントニヌス・ピウスを後継者と定め,ピウスにルキウスとマルクス・アンニウス・ウェルスを養子として迎えさせた。ピウスの死 (161) 後,マルクスがマルクス・アウレリウス・アントニヌスとして皇帝となるや,ルキウスもルキウス・アウレリウス・ウェルスとして同時に皇帝となり,ローマ史上初めての2皇帝支配が出現。しかし実際上の権力は同等ではなく,彼自身その重責に足る人物ではなかったといわれる。アルメニア,メソポタミアに転戦 (162~166) 。パンノニア付近でゲルマンと戦った (167~168) が,その帰途,急死。
ウェルス
Wels
オーストリア北西部,オーバーエスターライヒ州の都市。リンツの南西約 30km,ドナウ川支流のトラウン川左岸にあり,先史時代からの集落地。ローマ時代には属州ノリクムの州都であった。中世には,中心的な市場町として栄え,神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の死去 (1519) した城や 14世紀のレーデラー塔などの歴史的建造物も多い。鉄道,道路交通の分岐点で,ウシおよび穀物の市場がある。工業では農業機械,繊維,食品などが中心。人口5万 3042 (1991) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ウェルス
Lucius Aurelius Verus
生没年:130-169
ローマ皇帝。在位161-169年,マルクス・アウレリウスと共治。前名はルキウス・ケイオニウス・コンモドゥス。ハドリアヌスの意向でマルクスと共にアントニヌス・ピウスの養子となる。ピウスからは重視されなかったが,154,161年の2度コンスルとなった。ピウス死後マルクスに推され,2正帝として共治。マルクスの妹を妻とした。病弱だったがギリシアの都市再建策などに行政能力を示している。163-166年には東方パルティアを討って凱旋式をあげた。ドナウ地方遠征の帰途病死した。
執筆者:松本 宣郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ウェルス
オーストリア,オーバーエスターライヒ州の都市。リンツの南西にある。農耕地を控え,穀物,家畜の集散地。農器具,紙,食料品,繊維工業が行われる。15世紀来の教会,マクシミリアン1世が死んだ城砦(さい)がある。5万8591人(2011)。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内のウェルスの言及
【ローマ】より
…ストア哲学者マルクス・アウレリウスは,即位とともに強い義務感から帝国の危機の重荷を自らに引き受けたが,すでに絶頂の時代は過ぎつつあった。彼が治世当初ウェルス(在位161‐169)と共同統治したことは,のちに一般的となる帝国分治の初めての先例であった。彼の治下,北部国境が危機に陥り,全国にわたるペストの流行で人口が大減少したことは帝国衰退の予徴であった。…
※「ウェルス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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