シュライエルマハー(読み)しゅらいえるまはー(その他表記)Friedrich Ernst Daniel Schleiermacher

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュライエルマハー」の意味・わかりやすい解説

シュライエルマハー
しゅらいえるまはー
Friedrich Ernst Daniel Schleiermacher
(1768―1834)

ドイツ神学者、哲学者。19世紀のプロテスタント神学第一人者。11月21日ブレスラウ(現、ポーランド領ブロツワフ)の改革派牧師の子に生まれ、少年時代はヘルンフート兄弟団の学校で教育を受けた。しかし青年時代には敬虔(けいけん)主義に反発して啓蒙(けいもう)主義にあこがれ、父と激突してハレ大学で学んだが、やがて敬虔主義の良所を漸次理解し、その宗教思想の基礎に置くようになる。神学国家試験に合格してのち、家庭教師と牧師を経て、1796年ベルリンの慈善病院牧師となる。ベルリン滞在中ロマン主義グループに接し、フリードリヒ・シュレーゲルと親しくなり、2人で共同してプラトンの翻訳を計画した。結局はシュライエルマハーひとりの手で、1804~1828年にわたり出版されることになるが、この翻訳は19世紀のプラトン研究に大きな影響を与えた。『宗教講演』(1799)と『独語録』(1800)はこの時期の作品である。『宗教講演』は、宗教を軽蔑(けいべつ)する啓蒙主義者に対するロマン主義の宗教擁護であり、宗教を哲学と道徳から区別して独自の領域、宇宙の直観感情の領域とみなす。宗教は天来の火花によってとらえられた瞬間であり、無限者との直接の合一である。宗教の個体的体験はつねに共同体の形態をとり、歴史的に把握される。『独語録』は、倫理学的研究の最初の成果であった。

 1804年ハレ大学助教授兼付設教会牧師となったが、1806年ナポレオンの占領のため大学が閉鎖された。1807年ベルリンへ帰って以後、自由講演を行い、フンボルト兄弟やフィヒテとともに大学創設に尽力した。1809年三一(さんいつ)教会牧師、1810年新設のベルリン大学教授となり、死ぬまでこの二つの職に精励した。神学講義と教会説教は、彼が終生打ち込んだ天職であった。その在任中、プロシア王の熱望する教会合同の問題がおこり、シュライエルマハー自身は合同には反対ではなかったが、上からの改革に反対し、合議制に基づく合同を主張した。『神学通論』(1811)と『キリスト教的信仰』(1821~1822)はこの時期の傑作であり、とくに後者は自由主義神学の基礎となった。それは、信仰を絶対依存の感情として把握し、キリスト教をナザレイエスのもたらした救済に発する倫理的唯一神教とみなし、その特有の感情を神と世界との関係を表すものとして、罪と恩寵(おんちょう)の対立の下に分析する。

 シュライエルマハーの思想全体について、従来はディルタイの未完の研究に基づき哲学から神学をみる傾向が強かったが、最近はディルタイの遺稿をもとに、神学から哲学をみる研究が強められている。

[森田雄三郎 2018年8月21日]

『木場深定訳『独り語る』(1980・理想社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「シュライエルマハー」の意味・わかりやすい解説

シュライエルマハー
Friedrich Ernst Daniel Schleiermacher
生没年:1768-1834

ドイツの神学者,哲学者。プロテスタント最大の思想家の一人。幼時よりヘルンフート派敬虔主義の教育をうけ,この派の感情重視の宗教観は,カントの批判哲学にふれて敬虔主義に距離をおいた後も,彼の基本的立場となった。世紀交代期にベルリンにあってロマン主義者たちと交わり,1804年かつて学んだハレ大学に招かれたがナポレオンの侵入のためベルリンに帰る。ベルリン大学創設に尽力,10年同大学神学部教授となり哲学も教える。同時に三一教会の牧師として名声を博した。広義のロマン主義思想家であり,シェリングの影響は大きい。

 その思想的・学問的活動は二つの中心をもつ。(1)宗教の本質を究明してその独自の領域を確立し,そこで得られた宗教概念を用いて現実の宗教の特質を解明し評価する,という〈宗教哲学〉的問題。彼によれば,宗教とは主体的な心情におけるできごと,〈敬虔〉であって,その本質は〈直観と感情〉(《宗教論》,1799)あるいは超越的実在への〈絶対依存感情〉(《キリスト教信仰》,1821-22)である。啓蒙主義的理神論やカントが誤解したように形而上学や道徳に解消されえない独自のものなのである。また宗教に関してはその歴史的個性が十分に尊重されねばならない。(2)このような宗教概念を土台とした新しい〈神学〉の再建という課題。神学は事実として起こった敬虔の体系的記述としての実証的学であり,教会の指導をめざす実践的学である。教義学はキリスト教的宗教体験の学として再構築される,というのが彼の見解である。この体験的主観主義,また宗教とキリスト教の関係のとらえ方をめぐって,今日でも原則的議論がなされている。彼は倫理学においても,道徳的課題は個体の完成にありとする人格主義の提唱者として無視できない。画期的なプラトンの翻訳者,聖書の批判的研究の卓越した先駆者として,解釈学の歴史においては最重要な存在であり,心理的解釈の確立者である。
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百科事典マイペディア 「シュライエルマハー」の意味・わかりやすい解説

シュライエルマハー

ドイツのプロテスタント神学者,哲学者。ベルリン大学教授。ロマン主義を代表する思想家であり,優れたプラトンの翻訳者,聖書学者としても著名。敬虔主義やシェリングの影響のもと,直観と感情(絶対的依存感情)にもとづく宗教哲学と神学を展開した。主著《宗教論》(1799年),《独白録》(1800年),《キリスト教信仰》(1821年―1822年)。
→関連項目オットー

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世界大百科事典(旧版)内のシュライエルマハーの言及

【解釈学】より

…解釈者はテキストから生きた信仰のメッセージをひきださねばならないからである。 多様な解釈を統一する〈了解〉の一般理論を探求することによって,それまでの領域別解釈学を一般解釈学に普遍化しようとする動きは,19世紀にA.ベックやシュライエルマハーによって開始された。シュライエルマハーは聖書釈義学と古典文献学の両方の解釈技法を整合することに努めた。…

【キリスト教】より

…ツィンツェンドルフはチェコ兄弟団とも協力してヘルンフート兄弟団をつくり,アイスランド,アメリカ新大陸,東インドへの伝道を行った。シュライエルマハーはこの兄弟団に育てられ,やがて近代主義の神学を形成した。それは形式的な教義学や信条から離れた信仰論,宗教論であって,〈絶対的依存感情〉としての敬虔の体験を記述することが神学の課題となった。…

【敬虔主義】より

…敬虔主義は,歴史的進歩への信頼,経験の尊重,教育の重視,自由な個人の強調などにおいて時代精神と結びつき,カントに見られるように,啓蒙主義への橋渡し的役割をはたした。他面,ヘルンフート派を通してシュライエルマハーに,エティンガーを介してシェリング,ヘーゲル等に影響を与え,レッシング以後のドイツ文学にも力を及ぼしているように,ドイツの精神世界に深く作用しつつ,広くその後の〈信仰覚醒運動〉へ流れ込む。啓蒙主義への対立者ともなり,現代にも生きている。…

【三位一体】より

…この異なる表現はのちの東西両教会分裂の一因でもあった。三位一体論は本質的に〈信仰と歴史〉という難題をめぐるものであったため,その論争はキリスト論にまで及んだが,さらに近代の教会においてもアルミニウス派やユニテリアンのように三位一体を否定するもの,あるいはシュライエルマハーのようにこれを教義として対象化せず,ただ信仰論に付随させるものもあった。これらを見ると教義の完結などありえないことがわかる。…

【実践神学】より

…神学校教育において,将来の牧師(司祭)職に備えて,技術的訓練を行い,実際的な勧告を与えることもまた,実践神学の主要な任務である。そのような実際的教育や,それに関する著述は昔から行われてきたが,これを神学学科として整えたのは,F.E.D.シュライエルマハーであり,彼を実践神学の父と呼ぶ。その後も,主としてドイツ・プロテスタント神学において学問的に発達した。…

【自由主義神学】より

…そこにはハルナックのような教義史の大立者がおり,聖書研究ではH.グンケルやJ.ワイスのような宗教史学派に属する学者がおり,ブルトマンもその流れを汲んでいる。リッチュルの根はまえのシュライエルマハーにあり,自由主義神学は広く近代主義神学の中に位置づけられる。カトリックではロアジー,ブロンデル,ヒューゲルらの神学を近代主義(モダニズム)と呼び,教皇ピウス10世(在位1903‐14)はこれをまったくの異端として退けた。…

【神学】より

…ことに啓蒙主義以後,聖書解釈に歴史的・批判的方法が適用され,聖書神学が発展をとげると同時に,教義に対する合理的批判も盛んになり,自由主義神学の成立を促した。シュライエルマハーの《キリスト教信仰》は信仰の基礎づけを絶対依存の感情に見いだしている。彼の神学はドイツを中心にバウル,リッチュル,ハルナックらに大きな影響を及ぼした。…

【ロマン主義】より

…一方,スコットランドの過去の歴史をよみがえらせ,中世騎士道精神と郷土愛を賞揚するスコットの一連の歴史小説Waverley Novelsは,歴史学と小説に中世賛美の機運を興し,過去の時代の精確な生き生きとした描写を目ざす一種のロマン主義的写実主義とも称すべき傾向を生み,ユゴーの《ノートル・ダム・ド・パリ》やメリメの《シャルル9世年代記》,あるいはミシュレの《フランス史》等に影響を与えた。 ドイツでは,1770年ころからフランスの文化支配を脱し,啓蒙主義に対抗して個人の感性と直観を重視する反体制的な文学運動シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)が展開されたが,そのほぼ20年後にシュレーゲル兄弟,ティーク,シュライエルマハーらによって提唱されたロマン主義文学理論は,この運動の主張を継承し,フランス古典主義に対抗するものとしてのロマン主義を明確に定義づけ,古代古典文学の再評価とドイツに固有の国民文学の創造を主張した。フィヒテやヘーゲルの観念論哲学と密接な関係をもったドイツ・ロマン主義文学は,自我の内的活動の探究,夢と現実あるいは生と死の境界領域の探索,イリュージョンの形成と自己破壊(アイロニー)などを主題とするきわめて観念論的かつ神秘主義的な色彩を帯び,ノバーリス,J.P.リヒター,ホフマンらの幻想的な作品を生み出した。…

※「シュライエルマハー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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