日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ブルートゥス(Marcus Iunius (Junius) Brutus)
ぶるーとぅす
Marcus Iunius (Junius) Brutus
(前85―前42)
英語ではブルータス。古代ローマ共和政末期の政治家。カエサル暗殺の首謀者。名門の出。カトー(小)の甥(おい)にあたる。母セルウィリアはカエサルの愛人として有名。カトー(小)の下で教育を受け、ストア主義を信奉する。紀元前58年から前56年にかけてカトー(小)とともにキプロスで活躍し、前53年には財務官としてキリキアに赴いた。前49年からの内乱においては、ポンペイウス側についてカエサルと戦ったが、ファルサロスの戦い後許されて、その後はカエサルに重用され、諸官職を歴任した。その間キケロとも親交を結び、カトー(小)をたたえる「小カトー論」で共和政的理念を鼓吹し、彼の娘をめとった(再婚、前45)。前44年には法務官に任ぜられたが、共和政の伝統護持のためカエサル除去の決意を固め、前44年3月15日のカエサル暗殺には指導的な役割を果たした。しかしその後はカッシウスとともにローマを追われて東方に赴き、マケドニアで勢力を培った。ついでカッシウスと結んでアントニウス‐オクタウィアヌス(アウグストゥス)連合軍とフィリッピで戦ったが、その第2回目の戦闘(前42年11月)に敗れて、自殺した。
ストア理念の体認者である彼は、高潔な人柄で知られ、同時代人にも後世の人にも大きな影響を与えた。第一級の雄弁家・文章家としても知られる。
[長谷川博隆]
ブルートゥス(Lucius Iunius (Junius) Brutus)
ぶるーとぅす
Lucius Iunius (Junius) Brutus
(?―前509ころ)
古代ローマの最初のコンスル(執政官)とされる人物。伝承によれば、タルクイニウス・スペルブス王の粛清を避けるために愚鈍(ラテン語で「ブルートゥス」)を装い、難を逃れたという。王子に暴行された人妻ルクレティアが自殺した、いわゆるルクレティア事件に際して市民軍を率いて蜂起(ほうき)し、王を追放して共和政初代のコンスルに任命され(前509)、その後スペルブスの軍勢と戦い、戦死したと伝えられている。彼の実在性を疑う説もあるが、伝承の中核は史実と考えられる。
[平田隆一]