ブーメディエン(読み)ぶーめでぃえん(その他表記)Houari Boumedienne

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブーメディエン」の意味・わかりやすい解説

ブーメディエン
ぶーめでぃえん
Houari Boumedienne
(1932?―1978)

アルジェリア政治家。東アルジェリアの町ゲルマの近くに生まれ、チュニスカイロに留学。西アルジェリアのオラン地方で反フランス軍事作戦に参加し、1957年に同地方の民族解放軍ALN司令官大佐)に昇進、1960年には参謀長に就任した。1962年7月の独立後に成立したベンベラ政権の国防相を務めたが、1965年6月のクーデターでベンベラ政権を倒した。以来軍を背景に国政実権掌握し、国内的には国家機構を整備して一連の社会主義政策(具体的には国有化と工業化)を実施するとともに、国際的には非同盟主義外交と新国際経済秩序形成のための第三世界外交を進めた。1976年に憲法を制定し、大統領に選出されたが、1978年12月に病死

[宮治一雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブーメディエン」の意味・わかりやすい解説

ブーメディエン
Boumedienne, Houari

[生]1927.8.23. ゲルマ
[没]1978.12.27. アルジェ
アルジェリアの政治家。本名は Mohammed Boukharouba。チュニスとカイロの大学で学び,1955年までエジプトで教員生活を送った。同年アルジェリアの反フランス独立闘争に加わり,60年にはアルジェリア民族解放戦線 FLNの軍事部門である民族解放軍 ALNの司令官になった。 62年7月の独立後,国防相。 63年第一副首相。 65年6月クーデターで A.ベン・ベラ大統領を追放,革命評議会議長 (元首) となり,首相,国防相を兼任。非同盟外交,社会主義的な経済建設の路線を守り,73年にはアルジェで第4回非同盟首脳会議を開催,革新的な政策を進めた。 76年 11月新憲法施行に伴い,12月に行われた選挙で大統領に選出されたが任期中の 78年死去。

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百科事典マイペディア 「ブーメディエン」の意味・わかりやすい解説

ブーメディエン

アルジェリアの軍人,政治家。反仏独立戦争(アルジェリア戦争)に参加,アルジェリア民族解放戦線の参謀長。独立後副首相,国防相。1965年クーデタでベン・ベラ大統領を追放し政権を掌握,以後首相兼革命評議会議長。

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