冷戦下、西側(第一世界)と東側(第二世界)のいずれにも属さないアジアや中東・アフリカ、中南米などの第三勢力を指す。民族自決、経済的自立、平和共存を追求した。1989年の冷戦終結に伴って「第二世界」が消滅し、「第三世界」という用語はほとんど使われなくなった。現在のグローバルサウス(新興・途上国)と地域的に重なる。
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1950年代初めに,フランスの人口学者ソービーAlfred Sauvyは,当時インドシナで激化していた民族解放戦争を〈第三世界Le Tiers Mondeの台頭〉と評した。これはフランス大革命が,第三身分le tiers étatの台頭であったことになぞらえたものだった。これ以降,〈第三世界〉という言葉は広く用いられることになる。ただし,〈第三世界〉の内容についてはさまざまあり,欧米ではアメリカ,西欧諸国の先進国を〈第一世界〉,ソ連(現,ロシア),東欧の社会主義移行諸国を〈第二世界〉,そして熱帯,亜熱帯の旧植民地・従属国で第2次世界大戦後独立した国々を〈第三世界〉と呼ぶいい方もある。70年代初めには中国が〈三つの世界論〉を提起した。この議論によれば,ソ連,アメリカの超大国が〈第一世界〉,西ヨーロッパ,日本が第一世界に〈侮られて〉いる〈第二世界〉,そして発展途上諸国が,歴史的に第一・第二世界に支配されてきた〈第三世界〉ということになる。このように論者によって,三つの世界の内容はそれぞれ異なるが,いずれにしても〈第三世界〉はアジア,アフリカ,ラテン・アメリカの発展途上諸国を指していることには変りない。しかし,第三世界という言葉は,ときにアメリカ国内の少数集団を指して〈第三世界〉ともいうように,たんに経済的な意味ばかりでなく,政治的・文化的な意味に用いられることもある。第三世界諸国は,非同盟運動,発展途上諸国のグループ化などを通じて,古い大国支配型世界秩序の変革を推し進めてきた。しかし,70年代以降,発展途上国間で資源・エネルギーをもつ国,新興工業国と石油価格上昇,それに引きつづく工業製品価格の上昇により経済困難の増した国々とのあいだの経済格差が増大した。また途上国内部でも,工業化,近代化の進展とともに先進地域・後進地域の格差が増大した。これら後者の最貧国・最貧地域を〈第四世界〉と呼ぶこともある。
→世界政治 →南北問題
執筆者:西川 潤
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一般的には、西欧を中心とした先進資本主義国家群を「第一世界」、ソ連・東欧の社会主義国家群を「第二世界」とし、そのいずれにも含まれないアジア、アフリカ、ラテンアメリカの開発途上国家群を「第三世界」とよんだ。1950年代初めころから、歴史的復権を目ざすこれらアジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国の著しい台頭や、民族主義運動の発展を、フランス革命における「第三身分」le tiers étatの台頭になぞらえて使われ始めた用語で、その後しだいに一般化した。もっとも、70年代なかばに中国が提起した「三つの世界論」では、米ソ両超大国を第一世界、その他の発展した資本主義諸国、社会主義諸国を第二世界とする独特の規定の仕方が示されているが、その場合でもアジア、アフリカ、ラテンアメリカの開発途上諸国を第三世界と規定している点で、前述の第三世界の概念と変わるところはない。第三世界諸国は50年代にはAA会議に象徴されるアジア、アフリカの連帯運動を通じて、60年代以降は非同盟諸国会議の運動を軸として、大国優位、先進国中心の世界秩序の変革を推進しようと努めてきた。なお70年代以降、資源問題がクローズアップされるなかで、資源も資本も技術ももたない後発開発途上国を「第四世界」として第三世界と区別する議論も登場してきた。第三世界内部の経済格差の拡大から生ずる問題は、「南南問題」とよばれる。しかし、東西冷戦終結後の90年代に入り、ソ連の解体、ソ連・東欧諸国の民主化、市場経済化の進行などによっていわば「第二世界」が事実上消滅すると、「第三世界」という用語もまた根拠を失うことになる。ただ現実にはまだ、開発途上世界を「第三世界」とよぶケースがまったくなくなったわけではない。あるいは現状変革勢力という意味合いでの「第三世界」という用語も、まだ生き続けているといってもよいだろう。
[小田英郎]
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(坂本義和 東京大学名誉教授 / 中村研一 北海道大学教授 / 2007年)
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第二次世界大戦終結後に欧米諸国の植民地支配から離脱して独立したアジア,アフリカ諸国,およびラテンアメリカ諸国をさす。経済発展で困難を抱える。明確な区分定義はないが,国家数で100カ国を超え,全地球面積,総人口ともその約4分の3を占める。この呼称は,1950年代初め,フランス革命時の第三身分になぞらえたフランス社会学に端がある。1970年代に,包括的中立的用語として定着。今日なお,アジア,アフリカ,ラテンアメリカ諸国の有効な総称用語として使用されている。
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…1948年のコミンフォルムによるユーゴスラビア共産党除名とそれに続く国交断絶と経済封鎖,56年の反ソ・反政府デモが国内に広がったハンガリー動乱,60年になって表面化した中ソ論争などがある。 それにたいして大戦後に独立を達成した第三世界においては,社会主義は急速な工業発展のためのイデオロギーとなった。ソ連は後進国の工業発展のモデルと目されるようになり,一党支配や軍事独裁の国を含めて多くの国が,それぞれの国の流儀での社会主義を名のるようになった。…
…ところで,古典的主権国家体系の主要な担い手であった先進国の側で,主権の空洞化が進行している反面,古典的国際政治の下では政治的実体と認められなかった非欧米世界で,〈民族〉として自己を認識し,〈主権国家〉の形成をめざす運動が急速に高まったのが第2次大戦後の国際政治の主要な特質であることはいうまでもない。北の先進国が東西にブロック化する状況の下で,新興諸国の多くが東西ブロックを拒否する〈中立主義〉〈非同盟主義〉という象徴を掲げ,〈第三世界〉の主権国家体系を主張したのは自然なことであった。 このように新興諸国の主権の主張は,反東西軍事ブロックであり,1954年の〈平和五原則〉に見られるように,反軍事支配であり,平和指向の強いものであった。…
※「第三世界」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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