プラントエンジニアリング産業(読み)プラントエンジニアリングさんぎょう

改訂新版 世界大百科事典 の解説

プラント・エンジニアリング産業 (プラントエンジニアリングさんぎょう)

プラントとは,複数の機械・装置を組み合わせた大型産業設備である。プラント・エンジニアリングは,そのプラントの企画,システム設計から,資金調達,施工・建設,運転,さらにアフターケアまで一貫して行う技術の体系である。プラントおよびそのエンジニアリング技術を販売する産業をプラント・エンジニアリング産業と呼ぶ。プラント・エンジニアリング企業は,その規模,事業内容から,専業大手鉄鋼,総合建設,造船重機,産業機械,重電機器,通信・弱電・計器装置,専業その他に分けられる。プラント施設別には,電力プラント,通信プラント,化学プラント,製鉄プラント,その他産業プラント,海洋施設,陸上鉄構物,貯蔵・輸送システム,環境衛生システム,都市・社会開発システムに分けられる。プラント・エンジニアリングは,元請けを専業大手(日揮,千代田化工建設,東洋エンジニアリング),重電機器,鉄鋼大手,商社などが担当し,その下で機械の製作からプラント,土木までを建設会社が担当する形で進められることが多い。

 日本のエンジニアリング企業の大手は戦後生れの新しい産業である。第2次大戦後の急速な石油精製能力の拡張・設備投資が戦後日本のプラント・エンジニアリング企業の地位を固めた。1928年に設立された日揮(当時は日本揮発油),48年に設立された千代田化工建設がこの時期に発展している。東洋エンジニアリングは,親会社三井東圧化学(現,三井化学)の尿素製造技術・エンジニアリング部門が61年に分離・独立したものである。東洋エンジニアリングに代表される石油化学プラント,製鉄大手による鉄鋼プラント,重電大手による電力プラントは,高度成長期の活発な大型コンビナート建設の発展とともに成長してきた。同業界の転換点になったのが,73年の第1次石油危機および80年を境とするプラント輸出環境の悪化である。石油危機後の国内設備投資の停滞および逆に産油国の活発な重化学工業化の動きから,日本のプラント・エンジニアリング業界は,中東東南アジアを中心に輸出振興を図った。石油危機後80年までのピークは1979年で,プラント輸出承認額は117億8500万ドル,前年比35%の伸びを示した。しかし,80年以降の輸出環境は必ずしも安定したものではない。輸出額は80年の89億ドル,81年の175億ドル,82年の134億ドルから,83年には83億ドルと,1981年のほぼ半分,1970年代中期の水準に逆戻りした。これは,(1)世界的な省エネルギー推進による産油国の財政事情の悪化,(2)非産油発展途上国の対外累積債務増加とイラン・イラク戦争によるカントリー・リスクの増大,(3)対ソ禁輸,(4)中進国,欧州メーカーの追上げ,などによるものである。

 日本のプラント・エンジニアリング産業の受注高(1996年度)は12兆1810億円,うち海外向けが2兆5053億円である。受注件数は27万0429件でプラント施設別にみると,環境衛生システム12.8%,通信プラント・システム12.7%,電力プラント・システム11.7%,化学プラント6.2%などがおもなものである。輸出市場についてみると,地域別にはアジアが66%,中近東が12%,中南米が10%を占める。種類別には発電プラント36%,通信プラント19%,鉄鋼プラント13%,化学プラント13%となっている(いずれも受注金額ベース,1件50万ドル以上のもの)。欧米各企業と比較すると,1企業当りの規模は相対的に小さい。たとえばアメリカの大手には,1社で海外受注50億ドルを超えているところもある。これは,日本が産業プラント中心なのに対して,欧米メーカーが産業から海洋・社会開発など総合的な技術力をもっているからである。

 日本の機械輸出組合の予測によれば,内需では,石油化学のような製品プラントから,原子力などの代替エネルギー開発,通信システム,社会開発型プラントへウェイトが移っていくものとみられる。輸出面では,海水淡水化装置のような社会開発型プラントの伸びが見込まれる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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