産業民主制(読み)さんぎょうみんしゅせい(その他表記)industrial democracy

日本大百科全書(ニッポニカ) 「産業民主制」の意味・わかりやすい解説

産業民主制
さんぎょうみんしゅせい
industrial democracy

産業あるいは経済を運営するうえで、労働者の自由と平等を達成するために、民主主義を推進してゆこうとする考え方または制度をいう。その思想内容や具体的制度は、時代、国、論者によってかなりの差異と多様性が存在する。

 産業民主制という用語が歴史に登場したのは、フェビアン社会主義フェビアン主義)の理論的指導者であったイギリスウェッブ夫妻が1897年に『産業民主制論』を著してからである。この著書では、産業の民主的運営のために、生産、生産方法の諸決定は、それぞれ消費者、産業指導者にゆだねられるべきであり、労働条件に関しては、内部の民主制に基づいた労働組合の関与すなわち団体交渉を通じて行われるべきであると主張されている。この考え方は、資本主義内における階級関係を前提とした枠組みのなかで、労働者に一定の権限を与えようとするもので、のちに労働組合と団体交渉制度を法制化させるとともに、現在の労使関係制度の基本的理念として継承されている。

[守屋貴司]

展開過程

産業民主制の理念が現実に制度化されるようになったのは、第一次世界大戦を契機としている。欧米列強各国は、戦争遂行をするため、国民的統合すなわち労使間の対立を緩和する必要に迫られた。その結果、イギリスでは、ホイットレー委員会が設けられ、労使協働によって問題処理にあたるという労使協議制度の理念と制度が生まれ、普及することとなった。また、ドイツでは、第一次世界大戦後、社会民主党主導による従業員代表制度の下で経営評議会が普及することとなった。また、日本では、社会運動家賀川豊彦らの指導によって欧米の工場委員会制や団体交渉権の獲得を目ざす運動が展開されたが、川崎・三菱造船所争議敗北によって日本の産業民主制の萌芽(ほうが)は摘み取られることとなった。

 産業民主制の理念が本格的に制度化されるようになったのは、第二次世界大戦後のことである。大戦後の産業民主制の発展の中心は、労働者・労働組合による経営・生産等の企業の意思決定過程への参加、および労働者・労働組合への情報提供などによる経営参加であった。イギリスでは、産業国有化政策の下で経営参加が進められ、また、旧西ドイツにおいては、共同決定法が制定されるとともに労働者重役制などが広がることとなった。その後、ヨーロッパでも、労使の力関係から産業民主制の衰退がみられたが、ヨーロッパ連合(EU)統合によるEU全体の産業民主主義の推進が、ヨーロッパ労使協議制の導入などを通して図られようとしている。日本では、第二次世界大戦後、占領軍の民主化政策によって労働組合運動が高揚したが、その後、国際的にはアメリカ・ソ連による冷戦構造や、戦前の旧経営陣の復活、経営権の拡大や労働組合への弾圧を通して、「労使協調型」の企業別労働組合(企業別組合)運動に移行していった。その過程で日本の企業別労働組合は、しだいにその機能を形骸(けいがい)化し、実質的な機能を喪失していくこととなった。このように産業民主制は、労働組合に経営者側と対立するだけの力量を有しないかぎり、労働者の企業への統合の手段となる危険性をはらんでいる。

[守屋貴司]

『S&B・ウェッブ著、高野岩三郎監訳『産業民主制』(1969・法政大学出版局)』『ヨーロッパ産業民主主義国際研究グループ著、奥林康司・石井修二・宮坂純一・佐護誉・大谷真忠・菊野一雄訳『ヨーロッパの労使関係』(1984・有斐閣)』

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