ベニグノ・アキノ

共同通信ニュース用語解説 「ベニグノ・アキノ」の解説

ベニグノ・アキノ

フィリピンの野党指導者。1980年、当時の大統領マルコスから事実上国外追放された。3年の米国滞在後、家族や支援者の反対を押し切り帰国し、航空機から降りた直後に殺害された。国民的人気があり、500ペソ札には妻コラソン・アキノ元大統領と共に肖像が描かれている。暗殺された8月21日はフィリピンの祝日。(マニラ共同)

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現代外国人名録2016 「ベニグノ・アキノ」の解説

ベニグノ アキノ
Benigno Aquino

職業・肩書
政治家 フィリピン大統領

国籍
フィリピン

生年月日
1960年2月8日

出生地
マニラ

本名
Aquino,Benigno Simeon Cojuangco Ⅲ

別名
愛称=ノイノイ〈Noynoy〉

学歴
アテネオ・デ・マニラ大学経済学部〔1981年〕卒

経歴
父はマルコス独裁政権と戦い、マニラ空港で暗殺されたベニグノ・アキノ元上院議員。母はピープルパワー革命でマルコス政権を打倒したコラソン・アキノ元大統領。“民主主義の申し子”と言われる。1981〜83年家族と米国ボストンで亡命生活。’83〜84年非政府組織(NGO)活動に従事。’87年母が大統領時代に起きたクーデター未遂事件の際、国軍部隊から銃弾を受けて重傷を負い、権力争いにも巻き込まれた経験を持つ。母の実家が経営する大農園の役員などを経て、’98年より下院議員を3期9年務め、2007年上院議員に転進。2010年5月大統領に当選、6月就任。愛称は“ノイノイ”。熱心なカトリック教徒として知られる。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ベニグノ・アキノ」の解説

ベニグノ アキノ
Benigno Aquino


1932.11.27 - 1983.8.21
フィリピンの政治家。
元・タルラク州知事,元・リベラル党幹事長。
タルラク州生まれ。
アテネオ・デ・マニラ大学を中退の後、1955年政界に進出し、’60年タルラク州知事、’67年上院議員となる。’71年リベラル党幹事長として中間選挙同党躍進をはかったが、’72年戒厳令発布と同時に政府転覆容疑で逮捕・拘禁され、’77年には銃殺刑を宣告された。’80年心臓手術の名目で渡米し、アメリカでマルコス批判を展開したが、’83年帰国直後、マニラ空港で暗殺された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「ベニグノ・アキノ」の解説

ベニグノ(Jr.) アキノ

生年月日:1932年11月27日
フィリピンの政治家
1983年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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