ソ連の政治家。ジョージア(グルジア)の出身。革命後の内戦期に反革命取締りの活動で名をあげ、同じジョージア出身のスターリンの信頼を得て、1920年代にジョージアの政治警察の実力者となった。1931年にジョージア共産党第一書記に就任、1934年にはソ連共産党中央委員に昇格した。スターリンは大粛清の総仕上げを行うために、前歴も不確かで中央では無名のベリヤを1938年内務人民委員に抜擢(ばってき)し、前任者エジョフとその配下の機関員に対する「粛清者の粛清」を実施させた。独ソ戦期も引き続きこのポストにあり、クリミア・タタール人その他対独協力の嫌疑をかけられた少数民族の集団追放を命じた。戦後、元帥、政治局員、副首相。1953年にスターリンが死去した時点でマレンコフ首相に次ぐ実力者と目されたが、その直後に実権を失った。反党・反国家的行為のかどで裁判にかけられ、同年末銃殺された。
[原 暉之]
ソ連邦の政治家。グルジア生れ。スターリン時代の大粛清の組織者の一人で,1917年に共産党入党後20年代は治安官僚としてグルジア,アゼルバイジャンで活躍した。31年グルジア共産党の第一書記に転じ,スターリンの庇護を得て34年に中央委員となった。38年末にエジョフのあとをついで内務人民委員となり,大粛清後の治安機関を握った。41年人民委員会副議長となり,第2次世界大戦中はその指導にあたり,元帥にも任命された。戦後,政治局員,収容所体制の最高責任者となり,軍事技術,とくにロケットや原爆の開発を行った。さらに東欧圏の治安組織をも指導下におさめた。53年のスターリン死後マレンコフ,モロトフとともに集団指導を行い,一定の自由化を打ち出したが,53年6月にスターリンへの〈個人崇拝〉の責任を問われて突然逮捕され,その年の末に裁判,銃殺が行われたとされている。これを機に,内務省機構は削減され,KGB(カーゲーベー)(国家保安委員会)が改組された。
執筆者:下斗米 伸夫
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1899~1953
ソ連の政治家。1930年代よりカフカースの治安機関と党で活動し,38年中央の内務人民委員となり,大粛清を終結させた。第二次世界大戦後は原子爆弾,ロケットの開発を担当,46年に政治局員となり,スターリンの死とともに第一副首相となり,改革的政策を推進したが,3カ月後,内務省を党と政府の上に置き,国家に反逆を企てたとして逮捕され,53年末死刑となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…独裁者の死はソ連史に大きな変化を呼び起こすこととなった。ユダヤ人医師団事件はでっちあげであったと発表されたあと,今度はそれを明らかにしたスターリンの内相ベリヤが打倒され,次いでスターリンの指名した後継者マレンコフ首相が失脚した。党の実権を握ったのは,内戦時に入党した出稼ぎ農民の子フルシチョフであった。…
※「ベリヤ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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