バゴー(読み)ばごー(英語表記)Bago

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バゴー」の意味・わかりやすい解説

バゴー
Bago

ミャンマー南部,バゴー管区の行政中心地。ペグー Peguとも呼ばれる。ヤンゴン北東 70km,エイヤーワディ川デルタ(→三角州)東部にあり,バゴー川両岸にまたがる。古くからモン族の中心地で,ペグー朝(ハンターワディ王国)が盛衰。東南アジアの諸王国やインドとの交易が盛んで,仏教などインド文化の渡来地の一つでもあった。17世紀には土砂堆積により外航船入港が困難となり,1757年にはビルマ人コンバウン朝に破壊され,人口が激減。その後再建されたが,1852年の第2次ビルマ戦争(→ビルマ戦争)によりイギリス領となった。鉄道のヤンゴン-マンダレー線が通る。小船による沿岸交易の中心地で,米,木材を積み出す。高さ 88mのシュエモードー・パゴダ(→パゴダ),全長 55mの寝釈迦像など仏教文化遺産が残り,仏教の聖地の一つでもある。人口 20万900(2004推計)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バゴー」の意味・わかりやすい解説

バゴー
ばごー
Bago

ミャンマー(ビルマ)南部、バゴー管区の中心都市。旧名ペグーPegu。ペグー山地に発し、下流でヤンゴン川に合流するペグー川東岸にある。人口19万8400(2003推計)。交通の要衝で、ミャンマー第一の都市ヤンゴン(ラングーン)から、北のマンダレー、南東のモールメインに至る鉄道、道路の分岐点である。東方のシッタン川河口との間に運河が通じ、シッタン渓谷の物産を舟運でヤンゴンへ送る。仏像陶磁器の製造など伝統工業が行われる。町の歴史はきわめて古く、9世紀前期にモン人によって創建され、14世紀後期から16世紀前期まではペグー王朝の都であった。その後、ビルマ民族が建てたタウングー王朝の都となり、17世紀前期までその座にあったが、以後、モン人とビルマ人の間で争奪が繰り返された。1852年の第二次ビルマ戦争後はイギリス領に帰属した。高さ113メートルのシュウェモーダー・パゴダや、身長55メートルの巨大な涅槃(ねはん)像で知られるシュウェタリャウン寺院など歴史的建造物が多い。

[酒井敏明]

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