改訂新版 世界大百科事典 「ペチパ」の意味・わかりやすい解説
ペチパ
Marius Petipa
生没年:1818-1910
フランス生れの舞踊家,振付師。振付師の父と女優の母を両親としてマルセイユに生まれる。踊り手,振付師として欧米で活躍中,1847年ロシアのペテルブルグに招かれ,帝室劇場の男性第一舞踊手として活躍。1869-1903年帝室マリインスキー劇場の首席バレエ・マスターをつとめ,晩年ロシアに帰化し,その名もフランス読みのプティパから,ペチパと呼ばれるようになった。西欧の古典舞踊および民族・風俗舞踊に関する該博な知識と教養によって,その門下から幾多の英才を育て,振付演出においても斬新な技芸を導入。独舞と群舞の有機的なつながり,踊りとマイムの交替による劇的展開など,さまざまな新手法を打ちだし,欧州屈指のバレエ団をつくりあげた。彼の作品は《ドン・キホーテ》(1869),《バヤデルカBayaderka》(1877)をはじめ自作だけでも60編を超すが,その作舞法は年とともに深味をまし豊かになり,とくに晩年にはチャイコフスキー,グラズノフの協力のもとに交響楽的バレエ《眠れる森の美女》(1890,曲チャイコフスキー),《白鳥の湖》(1895,イワノフと分担,曲チャイコフスキー),《ライモンダ》(1898,曲グラズノフ)など,近代バレエの頂点をなす不朽の名作をつくりあげた。また《ジゼル》《海賊》《エスメラルダ》など,先人の作品の改訂増補にいどみ,精彩さを加えた傑作として後代に伝えた。さらに当時のオペラの踊りの場面のほとんどを彼が振り付けたことを考えると,19世紀後半の舞踊界はペチパの時代と呼ぶにふさわしい。しかし彼の最晩年にはロシア帝室バレエの栄光にもかげりが見えはじめ,新しい20世紀バレエへの胎動が起こっていた。
執筆者:野崎 韶夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報