ホイットビー宗教会議(読み)ほいっとびーしゅうきょうかいぎ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホイットビー宗教会議」の意味・わかりやすい解説

ホイットビー宗教会議
ほいっとびーしゅうきょうかいぎ

663年(または664年)に、ブリテン島ケルト系教会とローマ系教会との一致を図るため招集された教会会議。ホイットビーWhitbyはブリテン島東部の開催地。ブリテン島のキリスト教化は、北方からのアイルランド(ケルト)系教会と南方からのローマ系教会によって行われた。したがって両教会の衝突は必然で、両者の基本的な生活慣習(復活祭の日取り剃髪(ていはつ)方法)の相違から、論争という形式をとって発現した。この会議は、ノーサンブリアの国王オスウィとその王太子アルクフリッドによって招集された。席上アイルランド側を代表するコルマンとローマ側を代表するウィルフリッドとが論争し、敗れたコルマンはリンディスファーン修道院を去った。ウィルフリッドはケルト系のリポン修道院の院長に任ぜられ、ローマ方式を導入したため、修道士たちは故国に帰った。この会議は、ローマ系イングランド教会の台頭と統一を告げる歴史的に重要な転換を示すものとして、また個人的、精神的なケルト教会に対する政治的、組織的なローマ教会の勝利としてみることもできる。

[朝倉文市]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホイットビー宗教会議」の意味・わかりやすい解説

ホイットビー宗教会議
ホイットビーしゅうきょうかいぎ
Whitby, Synod of

663年または 664年にイギリスホイットビーで開かれた公会議。ノーサンブリア王オスウィが招集。ケルト系カトリックとローマ系カトリックのいずれをとるべきかで論議が戦わされたが,後者決定。イングランドをローマ系カトリック世界の一員たらしめる重要な契機となった。

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