翻訳|Hittite
ヒッタイト語は,ルウィ語,パラ語,リュキア語とともにインド・ヨーロッパ語族のアナトリア語群を形成する。1906年来のドイツ隊によるトルコ中部ボアズキョイの発掘で出土した粘土板文書の多くは,ヒッタイト語で記されており,1916-17年,チェコのB.フロズニーによって解読された。解読以来,ヒッタイト語という名称が一般的に用いられているが,文書では,〈ネシャ語で〉と記されている。
ヒッタイト語は,インド・ヨーロッパ語の中でも,最も早期に分化したものといわれ,前3千年紀の前半,遅くとも前2500年ころには,原住地から離れたヒッタイト族とともに移動したものと考えられる。アナトリアでヒッタイト語の痕跡が最初に認められるのは,キュルテペ(カニシュ)のⅠb層(前18世紀)の古アッシリア商業文書中にある,išpatalu(〈夜の宿〉の意,ヒッタイト語išpant-〈夜〉)。išhiuli(〈“一種の”賃金契約〉の意,ヒッタイト語išhiul〈契約〉)といった語彙に見いだされる。ヒッタイト語は,古ヒッタイト語(前1650ころ?-前1450ころ?)と新ヒッタイト語(前1450ころ?-前1200ころ)に大別されるが,その中間に中ヒッタイト語も存在していたとする学説もある。名詞は,単数で8格が認められており,性は,男性と女性を区別しない両性と中性がある。また動詞には,mi-とhi-の2種の活用変化形があり,能動態と中動態が区別される。時制は現在と過去のみで,現在は同時に未来をもあらわす。話法には直接法と命令法があり,他のインド・ヨーロッパ語に見られる仮定法,願望法を欠いている。数は単数と複数で,両数は認められない。構文の特徴は,インド・ヨーロッパ語のそれをよく示しているが,語種の点では他のインド・ヨーロッパ語と著しく異なっている。おそらく,アナトリアへ移動してきたヒッタイト族,ルウィ族が少数であったうえに,侵入と同時にインド・ヨーロッパ語とまったく異なるハッティ語,フルリ語,セム系言語の強い影響を受けたためと思われる。
→ヒッタイト文字
執筆者:大村 幸弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
20世紀の初頭以降、アナトリア高原のボアズキョイ(ヒッタイト帝国の首都ハットゥシャ)から発見された、紀元前1700~前1200年ごろに属する楔形(くさびがた)文字で書かれた粘土板の文書で知られる言語。1917年フロズニーによって解読され、インド・ヨーロッパ(印欧)語族の一言語であることが判明した。この言語の所有者は自らの言語をネシャNeša語とよび、それに対してハッティHatti語というのはハッティ国の先住民の言語である。ヒッタイト語はこれまでに知られたもっとも古い印欧語で、他の同系諸語では失われた古い印欧語の特徴をよく保存している反面、フルリ語その他土着の非印欧語の影響を強く受け、とくに語彙(ごい)の面では著しい変化を被った。ヒッタイト語と並んで、同じボアズキョイ文書の、とくに宗教的・呪術(じゅじゅつ)的内容の資料によって知られる親近な言語としてパラ語およびルウィ語がある。前者はアナトリア北部、後者は南部で行われていた。19世紀以来アナトリア南東部で発見されている前10~前8世紀ごろの「ヒッタイト象形文字」資料で知られる言語は、最近の研究によってルウィ語の一形態であることが明らかとなった。ほかに、前6~前4世紀のアルファベットによる資料を残すリキア語およびリディア語もこれらと親近な言語であり、以上六つの言語をまとめて「印欧アナトリア語派」と称し、ヒッタイト語はそのもっとも代表的な、そして豊富な資料によって研究の進んだ言語である。
[松本克己]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新