日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボルカー」の意味・わかりやすい解説
ボルカー
ぼるかー
Paul Volcker
(1927―2019)
20世紀後半を代表するアメリカのセントラルバンカー、経済官僚。アメリカの連邦準備制度理事会(FRB)議長を1979年から1987年まで務め、物価と基軸通貨であるドル相場の安定に努め、世界の経済界から「ドルの守護神」とよばれた。カーター政権下で2桁(けた)台に達していていた悪性インフレを征圧、対外債務問題が表面化した1980年代の中南米金融危機に際しては、主要国・国際金融界の要として、救済策のとりまとめに活躍した。
1927年アメリカのニュージャージー州ケープ・メイで誕生。1949年にプリンストン大学を卒業、卒業論文はFRBの研究であった。その後、ハーバード大学大学院へ進み、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス(LSE)に留学した。1952年にニューヨーク連邦準備銀行へ入行。チェース・マンハッタン銀行(現、JPモルガン・チェース)を経て、1961年財務次官補、1965年から1969年までチェース・マンハッタン銀行副頭取を務めた。
1969年から1974年まで財務次官、1975年から1979年までニューヨーク連銀総裁を歴任し、アメリカの金・ドル交換停止(ニクソン・ショック)、主要通貨の変動相場制への移行、オイル・ショックなど戦後経済史の主要なできごとに第一線の経済・金融担当者として立ち会った。
1979年から1987年までのFRB議長時代には、大胆な金融引締めを断行し、アメリカ経済を悩ませてきたインフレを抑制するのに成功。また、行き過ぎたドル高を是正するため、1985年のプラザ合意達成に尽力した。市場の信任は厚かったが、財政赤字の削減などを訴え続け、時のレーガン政権とも対立、2期務めたFRB議長職をグリーンスパンに引き継いだ。
議長を退いたあとも、さまざまな公職を歴任。破綻(はたん)した日本長期信用銀行(現、SBI新生銀行)を買収したリップルウッド・ホールディングスの顧問なども務めている。日本の元財務官、行天豊雄(ぎょうてんとよお)(1931― )との共著『富の興亡――円とドルの歴史』では国際通貨交渉の生々しい内幕を証言した。
[矢野 武]
『ポール・ボルカー、行天豊雄著、江沢雄一監訳『富の興亡――円とドルの歴史』(1992・東洋経済新報社)』▽『M・G・ハジミカラキス著、今喜典・永田百合訳、蝋山昌一監訳『米国の金融市場と金融政策――ボルカー時代とその後』(1986・東洋経済新報社)』▽『ウィリアム・R・ナイカーク著、篠原成子訳『ボルカー――「ザ・マネー・マン」の肖像』(1987・日本経済新聞社)』▽『ジョセフ・トリスター著、中川治子訳『ポール・ボルカー』(2005・日本経済新聞社)』