オバマ(読み)おばま(英語表記)Barack Obama

日本大百科全書(ニッポニカ) 「オバマ」の意味・わかりやすい解説

オバマ
おばま
Barack Obama
(1961― )

アメリカ合衆国第44代大統領。アメリカ史上初のアフリカ系(黒人)大統領でもある。ケニア出身の黒人の父親とカンザス州生まれの白人の母親との間に、ハワイホノルルで生まれる。2歳のとき、両親は離別。父はハーバード大学で学んだ後にケニアに帰国し、再婚した母に連れられてインドネシアに渡る。10歳でハワイに戻り、母方の祖父母に育てられた。1983年にコロンビア大学卒業後、シカゴの貧困地区でキリスト教会系非営利団体の社会福祉活動に従事。1988年にはハーバード大学法科大学院に入学し、伝統ある『ハーバード・ロー・レビュー』誌初の黒人編集長となる。1991年に同大学院を卒業、弁護士資格取得後も、シカゴで貧困層の有権者登録運動などを進め、1992年からはシカゴ大学法科大学院で講師として憲法を教えた。1997年から2004年までイリノイ州議会上院議員を務め、2004年11月、連邦議会上院選に初当選した。2008年夏の民主党大会で、ヒラリー・クリントン上院議員と争い、大統領候補の指名を受ける。2008年11月の大統領選挙では、共和党候補のマケインJohn McCain(1936―2018)を大差で破り、2009年1月大統領に就任。静かな物腰で党派を超えた協力を訴える「融和型」の政治家といわれる。リーマン・ショック後の景気後退の局面で経済・雇用対策を最優先課題として取り組むが、失業率は低迷し、2010年の中間選挙で民主党は大敗した。また、核なき世界、イスラム世界との融和を掲げ、2010年4月にはロシアとの新戦略兵器削減条約(新START条約)に調印した。2012年の大統領選挙では、共和党候補ロムニーMitt Romney(1947― )を破り再選を果たした。2009年、ノーベル平和賞を受賞。

[宮明 敬]

『クリストフ・フォン・マーシャル著、大石りら訳『ブラック・ケネディ――オバマの挑戦』(2008・講談社)』『越智道雄著『誰がオバマを大統領に選んだのか』(2008・NTT出版)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オバマ」の意味・わかりやすい解説

オバマ
Obama, Michelle

[生]1964.1.17. イリノイ,シカゴ
アメリカ合衆国の法律家。夫であるバラク・オバマの大統領就任に伴い,史上初めてのアフリカ系アメリカ人ファーストレディーとなった。浄水施設で働く父と専業主婦の母のもとシカゴ南部で育つ。プリンストン大学で社会学とアフリカ系アメリカ人学を専攻し(1985学士号取得),その後ハーバード大学ロースクールで学んだ(1988法務博士号取得)。シカゴに戻り法律事務所に知的財産法を専門として勤務。1989年,事務所の夏季インターン(→インターンシップ)として採用されたオバマと出会い,1992年結婚。1991年シカゴ市長リチャード・M.デーリーのもとで働き始め,1992~93年シカゴの企画開発部副本部長に就任。1993年には若者のリーダーシップを養うプログラムを運営する "Public Allies"のシカゴ支部を設立し,1996年まで支部事務局長を務める。1996年,シカゴ大学の学生サービス部副部長に就任し,大学の地域貢献活動を組織した。2002年シカゴ大学地域・渉外部部長,2005年シカゴ大学病院地域・渉外部副部長となる。2008年,夫が民主党の大統領選挙の候補者になると,大学職員を辞し,長い予備選挙の選挙活動において積極的な役割を果たした。なかでも中立の有権者に向けた演説でみせた説得力の強さが評価された。夫が 2009年に第44代大統領に就任して以降は,アメリカ軍兵士の家族のための活動や,子供の肥満撲滅といった活動を行なう。健康的な食事を推進する取り組みの一つとして,2009年ホワイトハウスに野菜農園をつくり,本も出版した。また,そのファッションセンスにも注目が集まった。

オバマ
Obama, Barack

[生]1961.8.4. ハワイ,ホノルル
アメリカ合衆国の政治家。第44代大統領(在任 2009~17)。フルネーム Barack Hussein Obama, Jr.。アメリカ史上初のアフリカ系アメリカ人大統領。父はケニア人留学生,母はカンザス州生まれの白人。ハワイで育ったが 1964年に両親が離婚,インドネシア人と再婚した母の住むジャカルタで数年暮らし,10歳のときハワイに戻って母方の祖父母に育てられた。1983年コロンビア大学を卒業,1985年からシカゴ南部の貧民街でコミュニティ・オーガナイザーとして地域活動に携わり,この経験が政治家としての原点になったとみられる。1991年にハーバード大学法科大学院を修了。同大学院在学中,アフリカ系アメリカ人として初めて法律専門誌『ハーバード・ロー・レビュー』の編集長を務めた。1996年イリノイ州議会上院議員選挙に民主党から出馬して当選,2004年に党大会の基調演説で全米の注目を浴び,同年連邦議会上院議員の座についた。2007年2月に大統領選挙出馬を表明した。2008年1月から始まった大統領選挙の民主党候補者指名争いは長期戦となったが,初の女性大統領を目指すヒラリー・クリントン上院議員を制し,8月に指名を受けた。11月の大統領選挙では,「変化」を掲げて 53%近い票を獲得し,共和党候補のジョン・マケイン上院議員を破った。2009年1月の大統領就任式には,全米から 200万人以上が集まった。大統領就任後 9ヵ月足らずで,軍縮への姿勢や国際機関を仲介にした多国間外交,気候変動対策への取り組みなどが評価され,2009年のノーベル平和賞を受賞した。

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