プラザ合意(読み)ぷらざごうい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「プラザ合意」の意味・わかりやすい解説

プラザ合意
ぷらざごうい

1985年9月にニューヨーク・プラザホテルで行われた先進5か国財務相・中央銀行総裁会議(G5。86年以降G7)において、当時のドル高を是正するため、為替(かわせ)市場協調介入する旨の声明を出した。これをプラザ合意という。これによってドル相場は一挙に下落し、所期目的は達成された。この合意為替相場をまったく自由に変動させる自由変動相場制から、為替市場の状況により適宜介入する管理相場制への歴史的な転換点となった。

[土屋六郎]

『近藤健彦著『プラザ合意の研究』(1999・東洋経済新報社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プラザ合意」の意味・わかりやすい解説

プラザ合意
プラザごうい
Plaza Accord

1985年9月 22日にニューヨークのプラザホテルで開催された先進5ヵ国蔵相・中央銀行総裁会議 G5で討議されたドル高是正のための一連の合意事項をいう。当時,アメリカは巨額の財政赤字や高金利を背景にドルの独歩高を通じて膨大な貿易収支赤字を発生させ,世界的な対外不均衡が問題となっていた。さらにアメリカ国内で台頭してきた保護貿易主義に対抗することもあって,ドルの独歩高の修正を通じて対外不均衡を為替レートの調整で是正しようとするものであった。この合意に基づき各国はドル売りの協調介入に乗出し,円・ドルレートでみれば1ドル=240円台となっていたが,85年末には1ドル=200円まで一気に修正された。その後も一貫してドル安が続いたため,今度は過度のドル安がアメリカのインフレ圧力を増すとの懸念が台頭し,87年2月のルーブル合意へといたった。このプラザ合意は,(1) 経常収支の赤字国・黒字国が双方の責任として政策協調を行う,(2) 変動相場制度を継続するものの,ミスアラインメント (実質レートの均衡価からの乖離) の発生時には協調介入を行うという点で,その後の国際通貨制度を方向づけるものであった。

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