ペン(読み)ぺん(英語表記)Sean Penn

デジタル大辞泉 「ペン」の意味・読み・例文・類語

ペン(pen)

インキをつけ、字や絵をかく洋風の筆記具。金属や鳥の羽軸で作る。また、万年筆やボールペンなどの総称。
文章を書くこと。文筆活動。また広く、言論活動。「ペンで生活する」
[類語]万年筆付けペン硬筆鉄筆ボールペン

ペン(Arthur Penn)

[1922~2010]米国の映画監督・舞台演出家。ヘレン=ケラーを描いた「奇跡の人」は、舞台と映画の双方で成功を収めた。「俺たちに明日あすはない」は、ニューシネマの代表的な作品とされる。他の監督作に「小さな巨人」など。アーサー=ペン。

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精選版 日本国語大辞典 「ペン」の意味・読み・例文・類語

ペン

  1. 〘 名詞 〙 ( [オランダ語] pen )
  2. 筆記具の一つ。鳥の羽軸(うじく)や金属の薄片で先端を尖った形に作り、縦に割目を入れ、そこにインクを含ませて文字などを書くもの。金属片のものは木などの軸につけて用いる。また、万年筆、ボールペンなど、インクを用いる筆記具の総称。
    1. [初出の実例]「筆をペンといふ鵝の羽の茎の大なるを用、本の方を尖に削り、孔へ墨を含ませ、左上より書始」(出典:西域物語(1798)中)
  3. 転じて、文章を書くこと。文筆活動をすること。
    1. [初出の実例]「しかかって居た翻訳の筆(ペン)を留めて」(出典:婦系図(1907)〈泉鏡花〉前)

ペン

  1. ( William Penn ウィリアム━ ) イギリスの新大陸開拓者。ペンシルベニア(ペンの森の意)の支配権を得て、フィラデルフィアを建設。(一六四四‐一七一八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペン」の意味・わかりやすい解説

ペン(Sean Penn)
ぺん
Sean Penn
(1960― )

アメリカの俳優、映画監督。カリフォルニア州サンタ・モニカ生まれ。父親レオ・ペンLeo Penn(1921―1998)は舞台演出家、母親アイリーン・ライアンEileen Ryan(1927― )は女優と芸能一家に生まれ、弟のクリストファー・ペンChristpher Penn(1966―2006)も俳優。サーフィンなどに熱中する10代を過ごしたが、サンタ・モニカ高校卒業後、演劇学校ロサンゼルス・グループ・レパートリー・シアターに2年間研修生として在籍。本格的に演技にのめり込むようになったきっかけは、後に彼が監督する映画で主演を務める俳優ジャック・ニコルソンから彼のアクターズ・スタジオ時代のクラスメイトだったペギー・フューリーPeggy Feury(1924―1985)を紹介されたことで、ペンは、彼女が設立した「ロフト・スタジオ」に入り浸って演技指導を受けるようになった。

 俳優としての映画デビュー作は『タップス』(1981)。その後も実力派の若手俳優として映画や舞台でキャリアを重ねるが、1985年に当時人気の絶頂にあった歌手のマドンナと結婚。彼女を追いかけまわすマスコミへの暴力的な行動が、格好の記事の題材を提供する悪循環に陥り、トラブルメーカーとの烙印(らくいん)を押された。結局、1989年に2人は離婚。その後、『ステート・オブ・グレース』(1990)で共演した女優のロビン・ライトRobin Wright(1966― )と1996年に結婚したが、2010年に離婚した。

 マドンナとの離婚後の私生活および精神的な混乱のなか、監督業に進出、最初の監督作品『インディアン・ランナー』(1991)を発表。ロック・シンガー、ブルース・スプリングスティーンの曲「ハイウェイ・パトロールマン」に触発されて自ら書き下ろした脚本に基づいて兄弟間の葛藤を描くこの作品でペンは、ジョン・カサベテスやハル・アシュビーHal Ashby(1929―1988)ら、商業主義から袂(たもと)を分かつ、妥協を許さない、アメリカの優れた少数のインディペンデント映画作家の系譜に連なろうとする意志をあらわにした。

 一時は監督業に専念するために俳優業から撤退すると宣言したペンだが、俳優としての地位を揺るぎなくする充実した仕事がその後も継続されてきた。代表作をあげると、ブライアン・デ・パルマ監督作品『カリートの道』(1993)、監獄で死刑執行を待つ囚人を演じてベルリン国際映画祭で最優秀主演男優賞を受けたティム・ロビンスTim Robbins(1958― )監督作品『デッドマン・ウォーキング』(1995)、カンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞したニック・カサベテスNick Cassavetes(1959― )監督作品『シーズ・ソー・ラブリー』(1997)、娘の養育権を奪い返すために立ち上がった知的障害のある父親を演じて注目を集めたジェシー・ネルソンJessie Nelson監督『I am Sam アイ・アム・サム』(2001)などがある。一人娘を何者かに殺害されて復讐(ふくしゅう)に燃える父親を演じたクリント・イーストウッド監督作品『ミスティック・リバー』(2003)では、四度目のノミネートにしてついにアカデミー主演男優賞に輝き、メキシコのアレハンドロ・ゴンザレス・イニリャトゥAlejandro Gonzalez Inarritu(1963― )監督作品『21グラム』(2003)でもベネチア国際映画祭最優秀男優賞を獲得するなど、俳優としてのキャリアは早くも円熟期を迎えた。

 その一方で、彼の映画監督としての仕事も寡作ながら充実したフィルモグラフィーを形成している。第二作『クロッシング・ガード』(1995)では、交通事故で娘を失った痛手から立ち直ることができず、家族を崩壊させたジャック・ニコルソン演じる男性が、復讐を期して出所してきた事故の当事者を追跡する模様を描くもの。第三作『プレッジ』(2001)で、やはりニコルソン演じる元刑事が、未解決に終わった(と彼が信じる)事件の真犯人を強迫観念に導かれるかのように追跡する行程が前作から継承され、ペンが映画作家として一貫した主題――何らかの妄想にとりつかれた存在が、そこからの解放を目ざして繰り広げる迷走や闘争――を追求していることがうかがい知れる。また、2001年9月11日にアメリカを襲った同時多発テロをめぐって世界各国の11人の映画監督が競作したオムニバス映画『11' 09'' 01/セプテンバー11(イレブン)』(2002)にもアメリカ人監督としてただ1人参加した。

[北小路隆志]

資料 監督作品一覧

インディアン・ランナー The Indian Runner(1991)
クロッシング・ガード The Crossing Guard(1995)
プレッジ The Pledge(2001)
11' 09'' 01 セプテンバー11~「アメリカ編」 11'09'01 - September 11 - USA(2002)
イントゥ・ザ・ワイルド Into the Wild(2007)


ペン(Irving Penn)
ぺん
Irving Penn
(1917―2009)

アメリカの写真家。ニュー・ジャージー州生まれ。フィラデルフィア美術大学在学中から、高名なアート・ディレクターであるアレクセイ・ブロドビッチAlexey Brodovitch(1898―1971)の下で『ハーパーズ・バザー』Harper's Bazaar誌で働く。初めて同誌に掲載された靴のイラストの原稿料でペンはローライフレックス・カメラ(ドイツ、ローライ社の二眼レフカメラ)を購入し、ニューヨークの街を撮りはじめた。1938年、同大学卒業後、フリーランスの時期を経て、グラフィック・アーティストとしてビバリー・ヒルズのサックス・フィフス・アベニュー・デパートでブロドビッチとともに働いた。その後、1942年メキシコで絵画に没頭した1年を過ごした後、アート・ディレクターのアレグザンダー・リーバーマンAlexander Liberman(1912―1999)に誘われ、1943年から彼のアシスタントとして『ボーグ』誌で働く。ペンが写真家としてのキャリアを築くのは、『ボーグ』誌で働きはじめてすぐのことである。ペンはリーバーマンから『ボーグ』の表紙をまかされ、さまざまなアイデアを当時の『ボーグ』の写真家たちにもっていった。『ボーグ』で活躍していたのはホルスト・P・ホルストHorst P. Horst(1906―1999)やアーウィン・ブリューメンフェルドErwin Blumenfeld(1897―1969)、セシル・ビートン等々、ファッション写真史に名を残すそうそうたる写真家たちであった。しかし彼らは若いアシスタントの相手をするには忙しすぎた。困ったペンが相談したリーバーマンの提案は、それではペン自身が撮影すればいいだろう、というものであった。ファッション写真家、アービング・ペンの誕生である。

 当時のファッション写真の主流は、モデルをヒロインに見立て、何らかのストーリーを喚起させるような大がかりな舞台的演出に、ドラマティックな効果を狙ったライティングによる写真であった。対してペンは自然光に近いタングステン・ライトを使い、ストーリーではなく、被写体そのもののもつ線や質感、色や形を際立たせて存在感を伝える、シンプルで洗練されたライティングを施した。リーバーマンは後にこうしたペンの写真の特徴を「冴えた静謐(せいひつ)感」と呼んでいる。『ボーグ』の表紙を初めて手袋やバック、スカーフといった静物だけの写真が飾ったのは1943年10月1日号、ペンによる最初の表紙写真であった。その後彼は、表紙の写真を165回担当するが、興味を徐々にポートレートに移していった。

 彼の被写体は、静物、ファッション、有名人のポートレート、ヌード、ストリート、花、煙草の吸殻、アフリカやオーストラリアの小部族の人々など多岐にわたっているが、その一つ一つがほかの誰の作品ともまごうことない彼独自の世界に昇華されているのである。

 ペンの写真を特徴づけるのは、ライティングであり空間構成である。それは1948年に制作された彼の初期のポートレートによく表されている。モデルになったのは作家トルーマン・カポーティ、画家マルセル・デュシャン、画家ゲオルク・グロッス、ボクサーのジョー・ルイス、画家チャールズ・シーラー、オートクチュールを着たモデルたちといった、時代の寵児たちである。彼らはペンのスタジオで、古びた二面の可動壁で囲まれた隅に押し込まれて窮屈げに所在なげに立っている。被写体の功績を示唆するような、絵だとか本、机といった小道具は一切ない。時代の花形である彼らの存在、彼らが着ている高価な背広やオートクチュールと、スタジオの空間のそっけなさが好対照をなして、被写体の生の存在感を際立たせている。それは「孤独なポートレート」と呼んでもいいような写真である。

 彼の作品は、ファッション写真からヌード、静物、ポートレートなど多くの分野に及ぶ。ペンは、写真の視覚を飽くことなく探究した完璧主義者である。

[笠原美智子]

『Irving Penn; A Career in Photography (1997, Little Brown, Boston)』『Still Life (2001, Little Brown, Boston)』『Dancer (2002, Nazräli Press, München)』『Maria Morris Hambourg ed.Earthy Bodies; Irving Penn's Nudes, 1949-1950 (2002, Little Brown, Boston)』『「アーヴィング・ペン自選展」(カタログ。1997・ウイルデンスタイン東京)』『コリン・ウェスターベッグ編、三宅一生ほか著「アーヴィング・ペン全仕事」(カタログ。1999・東京都写真美術館・朝日新聞社)』


ペン(筆記具)
ぺん
pen

筆記具の一種。鋼ペン先のことで、ペン軸に取り付けて液体インキを含ませ、文字などを書写する。ラテン語のpenna(鳥の羽)が語源である。

[野沢松男]

歴史

古代エジプトでアシの茎でつくったペンを用いたのが最初といわれる。ヨーロッパではガチョウの羽の先端を斜めにカットし、切れ目を入れてペンに用いた。現在のような鋼ペン先は18世紀に入ってからで、1780年にイギリスの金具師サミュエル・ハリスンが初めて一種の鋼ペンをつくったが、1830年に同じくイギリスのジェームス・ペリーが、現在の基礎をなす鋼ペンをつくり、機械で大量生産を行ってから一般に用いられるようになった。日本には1872年(明治5)にインキとともに輸入され、文明開化の波にのって一部の知識階級に普及した。国産のものは1902年(明治35)石川徳松が製造したのが最初である。しかし、筆記具が多様化した現在、ペンはあまり使われなくなった。

[野沢松男]

種類

日本の鋼ペンは当初イギリスから輸入されていたため、その形状の基本はイギリス製品と類似している。また最近では、製品の幅も特殊用途のものへと広がり、種類も多岐にわたっている。一般に多く用いられているものを大別すると、次のようになる。(1)さじペン(タマペン、スプーンペンともよばれる) 一般筆記に用いられる。(2)日本字ペン 縦書きの日本文字を書くのに適した日本独特のペンで、一般の鋼ペンに比べ弾力性に富み、書写時の力の入れぐあいによって太い線、細い線が自由に書ける。(3)Gペン 英字を書く場合に用いられるもので、縦方向に書くと太く、横方向では細い。アルファベットが美しく書ける。(4)スクールペン 学生用で、ノート書きに適し、細くて美しい線が書ける。(5)銀行ペン 細書き用で、帳簿記入などに適している。(6)その他 特殊用途として、ラウンドペン、鉄道ペン、楽譜ペン、製図用ペン、丸ペンなどがある。そのほか、インキの補給回数を少なくするために考案された、ペン先のインキ含有量を多くするような構造をもたせたリザーボアペンもある。

[野沢松男]

製造方法

材質は特殊鋼を用いたものが多く、表面処理にはニッケル、クロム、銅などのめっきが施されている。製造方法は、特殊鋼を自動プレス機によって打ち抜き、それに丸みをつけてペン形状にしたものを高熱で二度焼きし、地金にほどよい弾力性をつける。表面を研磨したのち、先端の弾性を加減するために、その先端の厚みを薄くする。次に先端を二等分して先切りを行い、ペンによっては先端の紙当たりの部分の丸みをつけるなどの加工をしたのち仕上げ磨きをし、めっき処理を行ってできあがる。購入時には、ペン先端を押し当てたとき左右等分に開くものを選ぶとよい。

[野沢松男]



ペン(Arthur Penn)
ぺん
Arthur Penn
(1922―2010)

アメリカの映画監督。フィラデルフィアに生まれる。演劇活動に長らく従事したあと、テレビ・舞台の演出家となる。1958年『左きゝの拳銃(けんじゅう)』で映画監督デビュー。『奇跡の人』(1962)、『逃亡地帯』(1966)を経て、1967年、不況時代を背景にした無法者男女の物語『俺(おれ)たちに明日(あす)はない』(原題「ボニーとクライド」)を発表、アメリカ社会における暴力の意味を問いなおすとともに、その鮮烈な描写と新鮮な感覚によって「アメリカン・ニュー・シネマ」の口火を切った。その後『小さな巨人』(1971)、『ミズーリ・ブレイク』(1976)など。

[宮本高晴]

資料 監督作品一覧

左きゝの拳銃 The Left Handed Gun(1958)
奇跡の人 The Miracle Worker(1962)
逃亡地帯 The Chase(1966)
俺たちに明日はない Bonnie and Clyde(1967)
アリスのレストラン Alice's Restaurant(1969)
小さな巨人 Little Big Man(1970)
時よとまれ 君は美しい ミュンヘンの17日~「最も高く」 Visions of Eight - The Highest(1973)
ナイトムーブス Night Moves(1975)
ミズーリ・ブレイク The Missouri Breaks(1976)
フォー・フレンズ 4つの青春 Four Friends(1981)
ターゲット Target(1985)
冬の嵐 Dead of Winter(1987)
ペン&テラーの 死ぬのはボクらだ!?  Penn & Teller Get Killed(1989)
キング・オブ・フィルム 巨匠たちの60秒 Lumière et compagnie(1995)


ペン(William Penn)
ぺん
William Penn
(1644―1718)

アメリカ、ペンシルベニア植民地の創設者で、熱心なクェーカー教徒。父は、クロムウェルに仕え、チャールズ2世の王政復古にも協力した有名なイギリスの海軍提督。イギリスにいたとき、急進的信仰のゆえにオックスフォード大学を追われたが、執筆や説教活動を続けた。父の死後、1681年、国王よりペンシルベニア開拓の特許状を獲得。同地を宗教の自由の実践地だけでなく、社会的、政治的に不遇な人々のための避難所とした。同地へのペンの投資、土地の廉価な売却、豊かな生産力、国王の寛大な特許状、インディアンとの友好関係などの条件も加わり、同植民地は発展した。数多くの書物やパンフレットを著し、自由のために努力したが、本国の政情の変化や負債のため、晩年は不幸だった。

[野村文子]

『今津晃著『アメリカ革命史序説』(1960・法律文化社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ペン」の意味・わかりやすい解説

ペン
pen

筆記具の一つで,毛筆とならんで代表的なもの。語源はラテン語のpenna(翼,羽毛)で,もとは羽毛の軸の先にインキをつけて書くものを指した。羽根ペン,鵞ペンquillともいわれ,5世紀ころから19世紀まで使われていた。古くは文字を書くのに手の指や簡単な尖筆を用いたと思われるが,中空の管がインキを保持する点を利用して,古代エジプトではアシcalamusの茎が使用され,羽根ペンが出現して小さな字が可能になってからも,アシのペンは地中海地方に残っていた。羽根ペンの羽根は大型の鳥の翼からとり,北ヨーロッパのガチョウ,ガンを最良とし,ハクチョウ,シチメンチョウ,ペリカンなどが利用された。細字用にはカラスの羽根も使われた。一般には羽枝を切り落として羽軸だけにし,小型ペンナイフで先をとがらせて用いたが,羽根を節約するため短く分割し,ホールダーにつけるくふうも19世紀には行われた。18世紀中葉以降,ドイツのヤンセンJ.Janssen,フランスのアルヌーJ.Arnoux,イギリスのハリソンW.Harrisonが金属でペン先をつくることを始めた。すでに17世紀に銀製ペンがあったという記録もある。しかし鋼鉄ペンが大量生産で普及するようになるのは1830年ころで,同年にはペリーJ.Perryがペン先中央の割れ目の左右にも割れ目をつける特許を得ている。

 日本へは1871年(明治4)ころ羽根ペンや金属ペンが輸入され,74年の大蔵省達書では,ペン,インキは必要なときは買って支給せよとあるから,短期間である程度普及したらしい。鋼鉄ペンはほとんどイギリス製だったが,97年には国産品が現れ,日本字用もつくられた。しかし,公文書のペン書きは1908年まで認められなかった。

 ペンはペン先をペン軸にさして用い,用途に応じて種々の形状・筆跡のものが安価に得られるため,一般の筆記用のほか,製図用のもの,地図を描く際に2本の並行線が一度に引ける鉄道ペンなどもつくられたが,最近は他の筆記具に移行している。ガラスペンは墨汁でも使えるよう1902年に日本で考案されたもので,鋼鉄ペンと形状は異なり,ガラス棒の周囲に縦溝をつけ,先端を細くとがらせたものである。
インキ →万年筆
執筆者:


ペン
William Penn
生没年:1644-1718

イギリスのクエーカー教徒の政治家,新大陸ペンシルベニア植民地の創設者。父は海軍提督。オックスフォード大学を中退,外遊後リンカンズ・インで法律を学んだが,1667年クエーカーに加わる。チャールズ2世およびジェームズ2世の知遇を得るが,クエーカーとして説教やパンフレットの著述に励み,数度の入獄にも屈せず,信教の自由と立憲政治のために闘う。70年代にウェスト・ジャージー植民地の経営に参画し,民主的統治のため憲章の作成に貢献。次いで自己の理想に基づく植民地の設立(〈神聖な実験〉)を企図し,父から相続したチャールズ2世の債務に対する代償として,81年ペンシルベニア(〈ペンの森〉という意味)の領主権を付与される。《政治の形体》を起草して82年に渡米,住民総会においてその採択をみた。この統治機構では,信教の自由など人権を尊重したが,政治的には保守的な面がのこされた。植民地滞在中(1682-84)インディアンとの友好関係の樹立やフィラデルフィア市建設計画など,広く活躍した。メリーランドとの境界問題や本国のクエーカー救済のために帰国し,名誉革命後ジェームズ2世との親交のゆえに嫌疑をかけられ,領主権を一時奪われた(1692-94)。復権後植民地を再訪(1699-1701),住民の要求をいれて民主的な〈権利の憲章〉を制定する。晩年は植民地との関係に円滑を欠き,家庭的不幸も加わり不運であった。
執筆者:


ペン
Irving Penn
生没年:1917-

アメリカの写真家。ニュージャージー州プレーンフィールドに生まれる。ペンシルベニア工芸大学を卒業後,《ハーパーズ・バザー》や《ボーグ》のアート・ディレクターでR.アベドン,R.フランクなど数々の写真家を育てたA.ブロードビッチのもとでデザインを学び,1943年《ボーグ》誌のアート・ディレクターとなった。彼はそこですすめられて写真を撮り始める。ペンの写真は百数十回も《ボーグ》誌の表紙を飾っているが,これらのファッション写真は,クールで格調高いロマンティシズムに溢れたものである。またポートレートは優しいなかにも冷徹なまなざしがつらぬかれている。写真集《保存された瞬間Moment Preserved》(1961)は,彼の写真家としての仕事の全体を一望させるものである。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペン」の意味・わかりやすい解説

ペン
Penn, Sean

[生]1960.8.17. カリフォルニア,サンタモニカ
アメリカ合衆国の映画俳優,監督。フルネーム Sean Justin Penn。芸能人の両親のもとに生まれる。ロサンゼルスのレパートリー・シアターで演技を学び,1981年にオフ・ブロードウェーの舞台や映画『タップス』Tapsに出演し,俳優としての道を歩み始めた。やがて活動分野を広げて『インディアン・ランナー』Indian Runner(1991)では脚本と監督を,『クロッシング・ガード』The Crossing Guard(1995)で監督を務めた。俳優としては『デッドマン・ウォーキング』Dead Man Walking(1995)で初めてアカデミー賞にノミネートされ,『シーズ・ソー・ラヴリー』She's So Lovely(1997)でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞。『ギター弾きの恋』Sweet and Lowdown(1999),『アイ・アム・サム』I Am Sam(2001)でもアカデミー賞候補に名を連ねた。2003年『21グラム』21 Gramsでベネチア国際映画祭男優賞を受賞。翌 2004年,『ミスティック・リバー』Mystic River(2003)で娘を殺され悲しみに打ちひしがれる父親を好演して,ついにアカデミー賞主演男優賞を手にした。2007年には再びメガホンをとり,『イントゥ・ザ・ワイルド』Into the Wildを世に出した。2008年,同性愛者であることを公にしながら公職についた初めてのアメリカ人,ハーベイ・ミルクの半生を描いた『ミルク』Milkで主役を熱演し,再びアカデミー賞主演男優賞に輝いた。その後『フェア・ゲーム』Fair Game(2010),『ツリー・オブ・ライフ』The Tree of Life(2011)で好演。映画を離れると政治活動家でもあり,特にイラク戦争に反対を表明したことで知られる。

ペン
Penn, Arthur

[生]1922.9.27. ペンシルバニア,フィラデルフィア
[没]2010.9.28. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の映画監督,舞台演出家。フルネーム Arthur Hiller Penn。アメリカ社会の暗部を批判的に描いた作品で知られた。アクターズ・スタジオで学んだのちテレビ界で研鑽を積み,1953年からドラマの脚本家および演出家として活躍する一方,舞台演出家としても定評があった。1958年『左ききの拳銃』The Left-Handed Gunで映画監督としてデビュー。商業的にも芸術的にも成功した『奇跡の人』The Miracle Worker(1962),『逃亡地帯』The Chase(1966)などの作品で注目された。1930年代の実在の男女を主人公に,青春の孤独,むなしさを従来のハリウッド映画にはみられないセックスや残酷シーンの大胆な挿入で描写した『俺たちに明日はない』Bonnie and Clyde(1967)でアメリカン・ニュー・シネマの代表的作家となり,アメリカ映画史に不滅の足跡を残した。『奇跡の人』,『俺たちに明日はない』,『アリスのレストラン』Alice's Restaurant(1969)でアカデミー賞監督賞にノミネートされた。ほかに,歴史を見直す西部劇『小さな巨人』Little Big Man(1970)など。兄は著名な写真家アービング・ペン

ペン
Penn, William

[生]1644.10.14. ロンドン
[没]1718.7.30. バッキンガムシャー
イギリスのクェーカー教徒,ペンシルバニア植民地の建設者。同名の父は,清教徒革命に議会派として従軍し,イギリス=オランダ戦争にも活躍した海軍軍人。 1660年オックスフォード大学に入学。父の領地管理のためおもむいたアイルランドでクェーカーの信仰に触れ,入信。 81年父の債権の代償として北アメリカに植民地建設の特許状を国王チャールズ2世から獲得し,自己の姓をとってペンシルバニアと名づけ,82年渡航。フィラデルフィアを建設しインディアンとの友好関係の樹立に留意し,植民地の発展に尽力。 84年3代ボルティモア (男)との境界紛争解決のため帰国。 99年再び植民地に帰り,議会の選挙権を拡大して民主化に努め,1701年帰国。植民地経営を託した部下に裏切られるなど,晩年は不遇であった。

ペン
Penn, Irving

[生]1917.6.16. ニュージャ-ジー,プレーンフィールド
[没]2009.10.7. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の写真家。初め画家を志したが,26歳のときファッション誌『ヴォーグ』の表紙を手がけ,ファッション写真家に転向した。古典的で典雅な劇的表現を得意とした。人物写真でも名をなし,簡素な背景のもと,北側からの自然光で撮影する洗練された作品で知られる。1950~51年にニューヨークやロンドン,パリの労働者を撮影した記念碑的な作品 "Small Trades"が有名。のちに,ファッション写真や人物写真の手法を用いた女性のヌードやたばこの吸い殻を題材にした作品を,プラチナプリントで制作した。写真集に"Moments Preserved"(1960),"Worlds in a Small Room"(1974),"Passage"(1991)など。

ペン
Penn, John

[生]1729.7.14. フィラデルフィア
[没]1795.2.9. フィラデルフィア
アメリカ,ペンシルバニア植民地総督 W.ペンの孫。同植民地にペン家がもつ領主権の4分の1を相続。 1754年のオールバニ会議に出席。 63~71,73~76年ペンシルバニア植民地副総督。同植民地とコネティカット,メリーランド,バージニアの境界線問題やインディアンと開拓民との関係調停に努め,独立後もフィラデルフィアにとどまった。

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百科事典マイペディア 「ペン」の意味・わかりやすい解説

ペン

米国の写真家。ニュージャージー州プレーンフィールド生れ。1934年―1938年,フィラデルフィア美術館工業美術大でブロドビッチに師事してデザインを学ぶ。1943年より《ボーグ》誌でデザインと写真のスタッフとなる。1946年より《ボーグ》誌等を発行する出版社であるコンデ・ナスト社の写真家として活動し,洗練されたセンスと高度な技術によるファッション写真を多数発表する。1952年以降は雑誌と並行してフリーの広告写真家としても活躍。ポートレート写真や静物写真でも優れた業績を残した。写真集に《とっておきの瞬間,写真と言葉に関する八つのエッセー》(1960年),《小さな部屋の中の世界》(1974年),《アービング・ペン》(1984年)などがある。

ペン

アメリカの映画監督,舞台演出家。ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。第二次大戦従軍後,イタリアで地方劇団に加わり,1953年,帰国してTV界に入り,喜劇番組の演出で認められる。映画監督としては,1958年,《左ききの拳銃》(ポール・ニューマン主演)でデビュー。1959年,ブロードウェーでウイリアム・ギブソンの戯曲《奇跡の人》を演出,好評を博し,1962年,舞台と同じキャストで映画化,アン・バンクロフト(アカデミー賞主演女優賞),パティ・デユーク(アカデミー賞女優賞)にオスカーをもたらし映画監督としても成功した。1967年の《俺たちに明日はない》でニューアメリカンシネマの旗手と目された。その後,映画だけでなく舞台の演出もたびたび手がけた。

ペン

英国の開拓者。クエーカー教徒で,宗教的・政治的自由の地を求め,国王の特許状を得て北米植民地開拓に乗り出した。1682年渡米,フィラデルフィアを建設,信教の自由と人権の尊重を重んじる統治機構の確立を目標とし,インディアンと友好関係を保ちつつペンシルベニア(ペンの森の意)植民地の発展に努めた。
→関連項目フィラデルフィア

ペン

インキをつけて書く筆記具。penna(ラテン語。鳥の羽根)よりの語で,古くはガチョウなどの羽根の軸を削って使用。1830年ごろには,切れ目を入れ中央に穴をあけた鋼製ペン先が普及し,やがて金ペンの先にイリジウムをつけた万年筆用ペン先等が作られた。用途により製図用,事務用,日本字用,鉄道用など種類が多い。→ボールペン万年筆

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ペン」の解説

ペン
William Penn

1644~1718

ペンシルヴェニア植民地の建設者,領主。クエーカーであった彼は宗教的迫害を受けている人々に信仰の自由を与える植民地の建設を志し,チャールズ2世に願い出てそれを実現した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

367日誕生日大事典 「ペン」の解説

ペン

生年月日:1621年4月23日
イギリスの提督
1670年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ペン」の解説

ペン

ウィリアム=ペン

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ASCII.jpデジタル用語辞典 「ペン」の解説

ペン

「スタイラス」のページをご覧ください。

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