大陸会議(読み)たいりくかいぎ(英語表記)Continental Congress

精選版 日本国語大辞典 「大陸会議」の意味・読み・例文・類語

たいりく‐かいぎ ‥クヮイギ【大陸会議】

アメリカ独立戦争遂行の最高指導機関。一三植民地がイギリス本国に抵抗するために組織した合議体。第一回は一七七四年九~一〇月、第二回は七五年五月に開催され、自主政府樹立の提案航海条例撤廃、王党派財産の没収などを決議した。七六年七月の独立宣言後は合衆国臨時政府の役割を果たす。

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デジタル大辞泉 「大陸会議」の意味・読み・例文・類語

たいりく‐かいぎ〔‐クワイギ〕【大陸会議】

アメリカ独立革命のとき、北米13植民地の代表が集まりイギリス本国に対抗するため開いた会議。第1回は1774年、第2回は1775年に開かれ、ワシントン総司令官任命し、1776年には独立宣言を発表した。

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改訂新版 世界大百科事典 「大陸会議」の意味・わかりやすい解説

大陸会議 (たいりくかいぎ)
Continental Congress

アメリカ独立革命における植民地間の中央組織。ボストン茶会事件後,イギリス政府に抵抗する連絡機関として1774年9月,フィラデルフィアに第1回大陸会議が招集され,本国政府に抗議する決議およびイギリス製品のボイコットを中心とする同盟Association形成の決議が採択された。翌75年5月第2回大陸会議が開かれ,すでに武力抗争の段階に入っていたので,ジョージ・ワシントンを植民地軍の総司令官に任命し,大陸会議は戦争遂行の中央機関となる。76年7月2日には独立を決議し,7月4日にはアメリカ独立宣言を採択した。他方,植民地間の連合の計画をすすめ,77年11月には連合規約を採択したが,各州の批准を得て発効するのは81年3月であり,以来大陸会議は公式には連合会議となり,89年4月合衆国憲法下で新政府が成立するまでは,事実上の中央政府の役割を果たした。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大陸会議」の意味・わかりやすい解説

大陸会議
たいりくかいぎ
Continental Congress

アメリカ植民地の代表者会議。1774年、反英運動を進めるアメリカ植民地間の連絡協議機関として発足したが、独立戦争の開始に伴い、アメリカ最初の中央政府としての役割を果たした。第1回大陸会議は、「懲罰諸法」に対抗して74年9月、ジョージアを除く12植民地の代表によってフィラデルフィアで開催され、反英運動の方針を決めた。翌年5月に再開された第2回大陸会議は、ワシントンをアメリカ軍総司令官に任命し、以後革命政府として独立戦争の遂行にあたった。81年「連合規約」を基本法として制定し、その規約のもとで各邦議会が任命した代表によって構成される連合会議(規約成立後はこうよばれる)が中央政府としての役割を果たすことになり、連邦憲法の発効に至るまでこの「連合の時代」が続いた。

[島川雅史]

『富田虎男著『アメリカ独立革命』(清水博編『アメリカ史』新版・所収・1969・山川出版社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大陸会議」の意味・わかりやすい解説

大陸会議
たいりくかいぎ
Continental Congress

アメリカ独立戦争における十三植民地の中央組織。第1回会議は,1774年イギリス本国議会が成立させた「耐えがたい諸法(懲罰諸法)」に対処するため,同 1774年9月5日からフィラデルフィアでジョージアを除く 12植民地の代表によって開かれた。この会議は本国の圧政から植民地の権利と自由を守るための決議,大陸不買同盟の結成などをして 10月26日解散。第2回会議は,1775年5月10日から 13邦の代表が参集して開かれ,本国との和解を希望しながらも,ジョージ・ワシントンを植民地軍の総司令官に任命,翌 1776年春には独立に踏み切り,7月2日にアメリカ独立宣言を採択,4日正式に公布。1777年11月アメリカ合衆国初の憲法ともいうべき「連合規約」を承認した。1781年メリーランドの批准により正式に「連合規約」が成立したのちも,大陸会議は連合会議とも呼ばれて存続し,1788年アメリカ合衆国憲法が発効されたのち,1789年に消滅した。

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百科事典マイペディア 「大陸会議」の意味・わかりやすい解説

大陸会議【たいりくかいぎ】

アメリカ独立に際し,13植民地が共同で英国に抵抗するため組織した合議体。第1回会議は1774年フィラデルフィア。第2回会議は独立戦争勃発(ぼっぱつ)直後の1775年開かれ,独立戦争遂行の中央機関となる。1776年には独立宣言を発し,1777年には連合規約を採択するなど,1789年に合衆国憲法下で新政府が成立するまで臨時政府としての役割を果たした。→アメリカ独立革命
→関連項目アダムズアメリカ独立宣言ジェファソン

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「大陸会議」の解説

大陸会議(たいりくかいぎ)
Continental Congress

アメリカの独立革命の際,13植民地(のちに州)が共同でイギリス本国に抵抗するために組織した合議体。第1回大陸会議は1774年9月から10月にかけてフィラデルフィアで開かれ,本国に抑圧的な諸法の撤廃を求める決議を採択した。第2回大陸会議は75年5月に開かれ,本国との武力抗争のためにワシントンを大陸軍司令官に任命したが,76年7月独立宣言を発するに至り,以後,大陸会議はアメリカの連邦政府としての役割を果たした。大陸会議はアメリカの政治体制を法的に定めるため,連合規約を採択した。これは81年発効したが,規約発効後の大陸会議は連合会議と呼ばれる。

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旺文社世界史事典 三訂版 「大陸会議」の解説

大陸会議
たいりくかいぎ
Continental Congress

アメリカ独立戦争を指導した13植民地の代表者会議
第1回は1774年,ジョージアを除くアメリカ植民地の代表がイギリス本国の圧制に対し,フィラデルフィアに協議会を開いた。この会議では,植民地人の権利を主張する「権利の宣言」を発布し,またイギリス本国に対する「通商断絶同盟」の結成を採択した。翌1775年の第2回会議でワシントンを総司令官に任命し,76年にはアメリカ独立宣言を採択。1781年アメリカ連合規約が成立して,それにもとづく連合会議がこれに代わるまで存続した。

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世界大百科事典(旧版)内の大陸会議の言及

【アメリカ独立革命】より

ボストン茶会事件と呼ばれるこの事件は,本国と植民地間の対立を抜き差しならないものにしてゆく。すなわち,この報に接した本国政府はボストン港の封鎖をはじめとする制裁的な諸法を制定,駐米イギリス軍司令官のT.ゲージ将軍をマサチューセッツの総督に任命,強行措置に出ることを明らかにし,他方植民地側も74年9月フィラデルフィアに各植民地の代表よりなる大陸会議を開き,植民地間の団結した反英抗争を展開することを決議する。その間和解の方途も求められたが,本国,植民地側とも強硬派がしだいに支配的になり,ついに75年4月にはボストン近郊で,イギリス正規軍と植民地民兵とが衝突(コンコード,レキシントンの戦),のちの独立戦争の勃発となり,大陸会議はジョージ・ワシントンを植民地軍の総司令官に任命,各植民地兵と別に全アメリカを通じての正規軍として大陸軍を編成した。…

※「大陸会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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