ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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アメリカ植民地の代表者会議。1774年、反英運動を進めるアメリカ植民地間の連絡協議機関として発足したが、独立戦争の開始に伴い、アメリカ最初の中央政府としての役割を果たした。第1回大陸会議は、「懲罰諸法」に対抗して74年9月、ジョージアを除く12植民地の代表によってフィラデルフィアで開催され、反英運動の方針を決めた。翌年5月に再開された第2回大陸会議は、ワシントンをアメリカ軍総司令官に任命し、以後革命政府として独立戦争の遂行にあたった。81年「連合規約」を基本法として制定し、その規約のもとで各邦議会が任命した代表によって構成される連合会議(規約成立後はこうよばれる)が中央政府としての役割を果たすことになり、連邦憲法の発効に至るまでこの「連合の時代」が続いた。
[島川雅史]
『富田虎男著『アメリカ独立革命』(清水博編『アメリカ史』新版・所収・1969・山川出版社)』
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…ボストン茶会事件と呼ばれるこの事件は,本国と植民地間の対立を抜き差しならないものにしてゆく。すなわち,この報に接した本国政府はボストン港の封鎖をはじめとする制裁的な諸法を制定,駐米イギリス軍司令官のT.ゲージ将軍をマサチューセッツの総督に任命,強行措置に出ることを明らかにし,他方植民地側も74年9月フィラデルフィアに各植民地の代表よりなる大陸会議を開き,植民地間の団結した反英抗争を展開することを決議する。その間和解の方途も求められたが,本国,植民地側とも強硬派がしだいに支配的になり,ついに75年4月にはボストン近郊で,イギリス正規軍と植民地民兵とが衝突(コンコード,レキシントンの戦),のちの独立戦争の勃発となり,大陸会議はジョージ・ワシントンを植民地軍の総司令官に任命,各植民地兵と別に全アメリカを通じての正規軍として大陸軍を編成した。…
※「大陸会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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