アメリカ独立革命における植民地間の中央組織。ボストン茶会事件後,イギリス政府に抵抗する連絡機関として1774年9月,フィラデルフィアに第1回大陸会議が招集され,本国政府に抗議する決議およびイギリス製品のボイコットを中心とする同盟Association形成の決議が採択された。翌75年5月第2回大陸会議が開かれ,すでに武力抗争の段階に入っていたので,ジョージ・ワシントンを植民地軍の総司令官に任命し,大陸会議は戦争遂行の中央機関となる。76年7月2日には独立を決議し,7月4日にはアメリカ独立宣言を採択した。他方,植民地間の連合の計画をすすめ,77年11月には連合規約を採択したが,各州の批准を得て発効するのは81年3月であり,以来大陸会議は公式には連合会議となり,89年4月合衆国憲法下で新政府が成立するまでは,事実上の中央政府の役割を果たした。
執筆者:斎藤 真
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
アメリカ植民地の代表者会議。1774年、反英運動を進めるアメリカ植民地間の連絡協議機関として発足したが、独立戦争の開始に伴い、アメリカ最初の中央政府としての役割を果たした。第1回大陸会議は、「懲罰諸法」に対抗して74年9月、ジョージアを除く12植民地の代表によってフィラデルフィアで開催され、反英運動の方針を決めた。翌年5月に再開された第2回大陸会議は、ワシントンをアメリカ軍総司令官に任命し、以後革命政府として独立戦争の遂行にあたった。81年「連合規約」を基本法として制定し、その規約のもとで各邦議会が任命した代表によって構成される連合会議(規約成立後はこうよばれる)が中央政府としての役割を果たすことになり、連邦憲法の発効に至るまでこの「連合の時代」が続いた。
[島川雅史]
『富田虎男著『アメリカ独立革命』(清水博編『アメリカ史』新版・所収・1969・山川出版社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
アメリカの独立革命の際,13植民地(のちに州)が共同でイギリス本国に抵抗するために組織した合議体。第1回大陸会議は1774年9月から10月にかけてフィラデルフィアで開かれ,本国に抑圧的な諸法の撤廃を求める決議を採択した。第2回大陸会議は75年5月に開かれ,本国との武力抗争のためにワシントンを大陸軍司令官に任命したが,76年7月独立宣言を発するに至り,以後,大陸会議はアメリカの連邦政府としての役割を果たした。大陸会議はアメリカの政治体制を法的に定めるため,連合規約を採択した。これは81年発効したが,規約発効後の大陸会議は連合会議と呼ばれる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…ボストン茶会事件と呼ばれるこの事件は,本国と植民地間の対立を抜き差しならないものにしてゆく。すなわち,この報に接した本国政府はボストン港の封鎖をはじめとする制裁的な諸法を制定,駐米イギリス軍司令官のT.ゲージ将軍をマサチューセッツの総督に任命,強行措置に出ることを明らかにし,他方植民地側も74年9月フィラデルフィアに各植民地の代表よりなる大陸会議を開き,植民地間の団結した反英抗争を展開することを決議する。その間和解の方途も求められたが,本国,植民地側とも強硬派がしだいに支配的になり,ついに75年4月にはボストン近郊で,イギリス正規軍と植民地民兵とが衝突(コンコード,レキシントンの戦),のちの独立戦争の勃発となり,大陸会議はジョージ・ワシントンを植民地軍の総司令官に任命,各植民地兵と別に全アメリカを通じての正規軍として大陸軍を編成した。…
※「大陸会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新