ドイツの牧師,神学者。ブレスラウに生まれ,チュービンゲン,ベルリン等の各大学神学部で学ぶ。1927年に学位請求論文として書いた《聖徒の交わり》という教会論で早くも天才的な洞察力を示した。30年からアメリカに渡り,R.ニーバーらのもとで学んだ。31年,ワイマール体制末期のドイツに帰り,ベルリン大学私講師に就任。ナチズムがしだいに台頭してくる情勢のなかで,世界教会運動のために活躍していたが,33年にヒトラーが帝国宰相の座につき絶対的権力を握るに及んで,いち早くその悪魔的性格を見抜き,やがてナチ政権の教会干渉とそれに対抗する教会の抵抗運動の進展するなかで,〈ドイツ教会闘争〉の一員として活躍。35年には,〈告白教会〉の創設したフィンケンワルデにおける非合法牧師研修所の責任者として,若い牧師たちの養成に当たったが,それもやがて閉鎖された。その後一時アメリカに渡ったが,第2次世界大戦開始直前に帰国。しだいに直接的な政治的抵抗運動に接近し,43年にゲシュタポによって逮捕される。2年間の獄中生活の後,45年4月,ナチス崩壊の直前に刑死。彼は現代における殉教者としての生涯を送っただけでなく,その提起した神学的問題は,戦後世界の教会への大きな刺激と問いとなっている。日本の教会も,その例外ではない。
執筆者:井上 良雄
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ドイツのプロテスタントの牧師、神学者。2月4日、精神病理学教授の子としてブレスラウ(ブロツワフ)に生まれる。チュービンゲン、ベルリン両大学で学び、ニューヨークのユニオン神学校に留学、帰国後、ベルリン大学私講師、学生牧師、世界教会協議会役員などを歴任した。1935年から反ナチの告白教会に参加、第二次世界大戦中は抵抗運動に加わって、ドイツ陸軍の一部将校によるヒトラー暗殺計画(7月20日事件)に参画、1943年4月5日に逮捕され、終戦直前の1945年4月9日に処刑された。獄中で多くの書簡や遺稿を残した。戦後親友のE・ベートケEberhard Bethge(1909―2000)の編集により『抵抗と信従』『倫理学』など重要な遺稿が刊行され、今日も大きな影響を与えている。
[小川圭治 2018年1月19日]
『大宮溥・国谷純一郎・森平太他訳『ボンヘッファー選集』全9巻(1962~1968・新教出版社)』▽『ディートリヒ・ボンヘッファー著、森野善右衛門訳『共に生きる生活』(1975/改訳新版・2004/ハンディ版・2014・新教出版社)』▽『E・ベートケ著、村上伸他訳『ボンヘッファー伝』全4巻(1973~1974/オンデマンド版・2005・新教出版社)』
1906~45
ドイツの神学者。ナチス支配下で告白教会を支持し,抵抗運動を代表して1942年ひそかにストックホルムでイギリス側と接触した。この試みは失敗し,43年逮捕され,45年フロッセンブルク強制収容所で刑死した。
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…第2次大戦中は,バルトやニーメラーによって〈バルメン宣言〉が出され,ナチズムによるユダヤ人迫害やキリスト教のドイツ民族化への反対がなされた。ボンヘッファーはこの宣言をになった告白教会に属し,ヒトラー暗殺計画に参加して捕らえられ,敗戦直前に処刑された。その〈非宗教的キリスト教〉や〈世のための教会〉という思想は,戦後のキリスト教の柱となったものである。…
※「ボンヘッファー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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