ポモジェ(英語表記)Pomorze

改訂新版 世界大百科事典 「ポモジェ」の意味・わかりやすい解説

ポモジェ
Pomorze

ポーランド北西部,バルト海沿岸地方の名称。ポモジェはポーランド語で〈沿岸部〉を意味し,英語でポメラニアPomerania,ドイツ語でポンメルンPommernという。ポモジェ地方はポーランドとプロイセンの勢力が複雑にかかわりあった歴史をもつが,1945年のポツダム会談でその大部分がポーランド領となった。現在の行政区分ではシュチェチンコシャリンスウプスクグダンスクエルブロンクの5県にほぼ相当する。ビスワ川とオーデル川の間の地で,北はバルト海,南はバルタ川とその支流のノテチ川で囲まれる範囲である。地形的にはバルト海沿岸の狭小な平野,大陸性氷河が形成したモレーン丘陵部からなる。沿岸平野には小河川が流入し,砂州ラグーンがみられ,農業生産力は低い。氷河堆積物からなる丘陵地帯には無数の湖沼が点在する。

 ポモジェ地方は東西に二分され,東ポモジェは北部最大の工業・港湾都市グダンスクを中核に,人口4万3600(1995。以下同じ)の保養都市ソポトと北の港湾都市グディニャの市街地はひと続きとなっており,トルイミアストと呼ばれる。資本主義諸国への北の表玄関として発展している。オーデル河口のシュチェチンは西ポモジェの中心であるが,西ポモジェ地方はかつてグーツヘルシャフト経営の有力な地域で,第2次大戦後国営農場による社会主義農業の地位が高く,小農経営が多いポーランドの他の地方と性格がやや異なる。主要都市として,上記ほかスタルガルド・シュチェチンスキ(人口7万3300),コシャリンスゥプスク(10万2600),トチェフ(6万0600)がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「ポモジェ」の意味・わかりやすい解説

ポモジェ

バルト海沿岸,ドイツとポーランドにまたがる地方。ドイツ名はポンメルンPommern,英語名はポメラニアPomerania。歴史的にポーランドとドイツの領土争いの場であった。グダンスクを中心とした東ポモジェとシュチェチンを中心とした西ポモジェに分かれる。5世紀からスラブ人定住。12世紀にキリスト教化がはかられ,ドイツ化。のち神聖ローマ帝国の一部となった。1648年ウェストファリア条約でスウェーデンとブランデンブルクに2分されたが,やがてプロイセン領となり,第2次大戦後ドイツ(当時の東独)とポーランドに分かれた。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポモジェ」の意味・わかりやすい解説

ポモジェ
ぽもじぇ
Pomorze

北東ヨーロッパ、バルト海沿岸部の歴史的地域ポメラニアのポーランド語名。

[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のポモジェの言及

【プロイセン】より

…騎士修道会は,およそ半世紀に及ぶ激しい戦闘を通じて,83年までにプロイセンの征服をなしとげ,皇帝・教皇の支持のもとで,帝国諸侯のそれに匹敵する強力な領邦主権をこの地にうち立てた。そのころ,ワイクセル川とポンメルンPommern(ポモジェ)の中間地域(ポメレレンPomerellen)には,ダンチヒを中心にスラブ人の一公国が形成されていたが,ドイツ騎士修道会は14世紀初頭これをも征服し,西プロイセンに領土を拡大した。かかる領邦形成の過程で,騎士修道会はクルム,トルン,ケーニヒスベルク(現,カリーニングラード)をはじめ多くの都市を建設し,また計画的にドイツ人農民の入植を行わせ(東方植民),ハンザ商業圏と結びつく穀物輸出を通じて経済的にも大いに繁栄し,14世紀にその勢力は絶頂に達する。…

※「ポモジェ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android