デジタル大辞泉 「シェリー」の意味・読み・例文・類語
シェリー(Shelley)
(Mary Wollstonecraft ~)[1797~1851]英国の女流小説家。の妻。代表作、怪奇小説「フランケンシュタイン」。
スペインの南部、ヘレス・デ・ラ・フロンテラJerez de la Frontera(略してヘレス)地域を中心につくられる酒精強化ワイン(甘味果実酒)。こく味とフロール香とよばれる独特の芳香がある。シェリーという名は、スペイン語のJerez、ラテン語でXeresがなまってイギリスに伝えられ、sherris sackとよばれたが、のちにsherryになった。
[原 昌道]
ワインは紀元前1000年ぐらいにフェニキア人がこのヘレスの街をつくって以来つくられていたが、7世紀ごろからムーア人が侵入してきてイスラム教国となり、ワイン醸造は11世紀中ごろまで中断された。12世紀ごろからふたたびキリスト教化し、ワイン製造も再開され、14世紀になると、この地方でつくられたワインが盛んにイギリスに輸出されるようになった。当時は樽(たる)入りで、帆船で輸送しており、時間がかかるので、ワインの品質を守るため、ワインにブランデーを加え、貯蔵性を高めることが考えられた。なおシェリー酵母で産膜させる技術がいつごろから行われたかはあまりはっきりしない。ワインは放置すれば自然に産膜性酵母が繁殖するものであるから、おそらく自然にこの方法が取り入れられ、ワインの特性が形づくられてきたのであろう。
[原 昌道]
白色系のブドウであるパロミノとペドロ・ヒメネスを、エスパルトという草の茎で編んだ円形の莚(むしろ)の上に広げて24時間天日で乾燥し、十分に糖度をあげたところで絞り、酸度を高めるために焼石膏(しょうせっこう)を加えたのち発酵させる。アルコールが14%ぐらい出て、主発酵が終わると、これをきき酒して上級酒と下級酒に分ける。上級酒のほうは樽に詰め、これにシェリー酵母の皮膜を生やす。この方法にフィノとアモンチラードの2通りの方法がある。フィノは1本1本の樽にワインを4分の3ほど入れ、約半年放置し、その間ワインの表面にシェリー酵母の膜を形成させる。これをフロール(花を咲かせる)という。皮膜が形成されるにしたがい、独特のフロール香が生成し、色も薄くなり、淡黄色になる。フィノとは色が薄いという意味である。これにブランデーを加えて、アルコール18~20%にして、ときには果汁を加えて甘味を調節して製品とする。一方アモンチラードは、前述の皮膜が形成したワインをさらにソレラ法で熟成させてつくられる。これは数十個の樽を一組とし、5~6段に積み重ね、この樽にワインを4分の3ほど入れておく。新しいフィノワインができると、下の樽から4分の1ほど出して製品化し、順次上から下へ4分の1ほど移動し、いちばん上の樽に新しいフィノワインを入れる。どの樽にもシェリー酵母の皮膜が張っており、この皮膜を壊さないように静かに移動する。この酒は黄金色を呈し、こくがあり、香りも高い。
なお、シェリーにはこれ以外にオロロソ、アモロソといった種類がある。オロロソはシェリー酵母を生やさない方法で樽で熟成させた酒で、色が濃い。甘口と辛口がある。アモロソはオロロソの製造途中で区分けした上等でないほうの酒で、甘口とし、料理用に使われる。またフィノとオロロソをブレンドして甘味をつけたものにクリーム・シェリーがある。
シェリーに似た酒にベーキング・シェリーがある。これはアメリカのカリフォルニアで始められた酒で、白ワインにブランデーを添加、アルコールを20%ぐらいにし、50~60℃で通気しながら数か月放置する。加温処理によりシェリー香に似た香りが出てくる。ついで濃縮果汁を加えて製品化する。
[原 昌道]
フィノ、アモンチラードは一般に辛口で食前酒として、また食中酒として飲まれる。オロロソ、アモロソの甘口酒はデザートとして用いられる。この中間型は、イギリスでは古くから、甘くないビスケットといっしょに昼食に供する習わしがある。またシェリーは、たばこの煙によって香りや味が乱されず、吸いながら飲めるという特徴がある。
[原 昌道]
『ゴンザレス・ゴードン、マヌエル・M著、大塚謙一監訳『シェリー――高貴なワイン』(1992・鎌倉書房)』
イギリスの詩人。バイロン、キーツと並んで19世紀初頭のロマン主義文学を代表する存在。8月4日、サセックス州に生まれる。生来、怪異なものにあこがれる気質が強く、当時流行のゴシック小説に想像力をはぐくまれた。加えてイートン校在学中には自然科学に、オックスフォード大学に入ってからはプラトンなどの形而上(けいじじょう)学に生涯の思想の源を培われた。一方、准男爵で国会議員の父に対する反発心から、既成の権威や道徳を憎む気持ちが烈(はげ)しく、1811年には『無神論の必然性』と題する小冊子を出版したために、大学を1年にして放校されるはめとなった。この夢想と反抗の性癖は、ゴドウィンの『政治的正義』を読むようになってからしだいに対社会的な理想主義に熟していった。放校後まもなく少女ハリエットと駆け落ち結婚したことは、その後2人で旧教徒解放運動などに手を染めたこととともに、こうした義侠(ぎきょう)的理想主義の一つの現れであった。
1813年、社会改良の夢を歌った最初の長詩『マブ女王』が出るころから、ハリエットへの気持ちはしだいに冷め、かわってゴドウィン家の長女メアリーが、詩人にとって新たな「理想美」となった。1814年シェリーはメアリーとヨーロッパ大陸に走り、帰国後も同棲(どうせい)を続ける間、理想美探究をテーマとした初期の代表作『アラストー』を書いた。1816年にも大陸に渡り、スイスでバイロンと交遊した。この冬、傷心のハリエットが自殺し、メアリーが正式の妻となった。1818年シェリー夫妻は三たび大陸に渡り、イタリア各地を転々とする間に詩劇『プロメテウス解縛』(1820)などの傑作が次々に生まれた。アルノ川畔に迫りくる嵐(あらし)の気配を感じて書き上げた即興詩『西風の賦(ふ)』や、絶妙な音楽と空虚なイメージによって詩的霊感をとらえた『雲雀(ひばり)』などは、日本でも昔から親しまれている叙情詩の珠玉である。1820年からピサに住み、翌年にはキーツの夭折(ようせつ)を悼んだ瞑想(めいそう)詩『アドネイス』と、ロマン派詩観の最高の宣言ともいうべき散文『詩の擁護』を世に問うた。そして1822年7月8日、ダンテの『神曲』に倣った大叙事詩『生の凱歌(がいか)』を執筆中の詩人は、ヨットでイタリア北部のスペツィア湾を帆走中暴風にあい、29歳の生涯を閉じた。その一貫した理想美探究の姿勢は、天賦の叙情的詩才とともに、ロマン主義の精髄として高く評価されている。
[上島建吉]
『上田和夫訳『シェリー詩集』(新潮文庫)』▽『高橋規矩著『シェリー研究』(1981・桐原書店)』
イギリスの女流小説家。政治評論家ウィリアム・ゴドウィンと『女性の権利の擁護』の著者メアリー・ウルストンクラフトの娘。母は彼女を生んで死に、継母のもとで育てられた。16歳のとき詩人シェリーとヨーロッパに駆け落ちし、1816年、彼の先妻ハリエットの自殺後、正式に結婚した。高い知性と鋭い感性の持ち主で、怪奇小説『フランケンシュタイン』(1818)、21世紀における人類の滅亡を描く『最後の人』(1826)、自伝的な要素を秘める『ロードア』(1835)などを書き、また夭折(ようせつ)した夫の詩集(4巻)も編んだ。ロンドンで死去。
[佐野 晃]
スペイン南西部のヘレス・デ・フロンテラ,およびサンルカル・ド・バラメダ,プエルト・ド・サンタマリア地区に産する強化白ブドウ酒。英語のシェリーは,ヘレスのスペイン語古名シェレスにちなむ。アルコール分18~22%。色は淡黄色から褐色,味は辛口から甘口までのものがあり,食前酒あるいは食後酒として,とくにイギリスで愛好される。多くの種類があるが,フィノ型とオロロソ型に大別される。フィノ型にはフィノ,マンサニリャ,アモンティリャドの3種があり,オロロソ型にはオロロソとパロ・コルタドがある。フィノは緑色のパロミノ種のブドウを原料とし,1~2日天日乾燥後搾汁し,これに石灰分の多い土を加えて発酵させる。こうして得られた白ブドウ酒のうち,良質のものを選んで樽に3/4くらい入れておくと,やがて表面に白い薄膜を生じ,香味が変化してくる。この膜がフロール(花)と呼ばれるシェリー酵母である。フィノは辛口で色が薄い。マンサニリャとアモンティリャドもフロール形成があるもので,前者はサンルカル地区に産する辛口,後者はやや甘口で色も濃い。オロロソ型のものはフロールを形成しない。オロロソはペドロヒメネス種を原料とし,数日間天日乾燥して搾汁する。果汁糖分が高いためアルコール分が多くなり,このためフロール形成がないので,樽に満量詰めて熟成させる。甘口で色は濃い。以上いずれのシェリーも,熟成にはソレラ・システムが用いられる。これは100個ほどの樽を4~5段に積み,最上段に新酒を入れ,上から下へと1/4量くらいずつを移しかえて,新酒と古酒を調合しながら熟成させる方法である。製品は最下段から採取し,ブランデーを補添(強化)し,卵白を混ぜて清澄ろ過して瓶詰にする。なお,以上のほかにクリーム・シェリーがある。これは古いフィノとオロロソを配合し,濃縮果汁を加えて甘みを多くしたもので,暗褐色で濃厚な味をもつ。シェリーの空樽には強い芳香が残り,スコッチウィスキーの熟成に使用される。
執筆者:大塚 謙一
イギリス・ロマン派の詩人。T.S.エリオットの酷評以来,20世紀批評家の仕事は輝く翼をもったこの詩人を〈地上に引き下ろすこと〉にあったほど,シェリーは象徴的な存在だった。比類のない抒情性と人間愛による社会改造論,D.ヒューム的懐疑論に神秘的汎神論,プラトニズムにG.バークリー的非物質主義が,彼の特質といわれている。抽象的に流れる欠点はあったが,彼の理想追求は純粋ではげしく,生涯のものだった。イートン校では不当な〈しごき制度〉を非難し,オックスフォード大学では社会改造論《無神論の必然性》(1811)を匿名で発表,そのため追放された。アイルランドのカトリック解放運動にも加わるが失敗。ハリエット・ウェストブルックとの同情結婚も挫折。やがて急進的社会思想家W.ゴドウィンと交遊し,その娘メアリーとの大陸逃亡,ハリエットの自殺と,めまぐるしい環境の変化と精神の動揺とを体験するが,創作活動は着実だった。《マブ女王》(1813)は社会改革の寓意詩で,その趣旨は《イスラムの反乱》(1818)につづき,さらに権力に逆らって愛で人類を解放する《プロミーシュース解縛》(1820)で頂点になり,デフォルメして父の暴虐とたたかう《チェンチ》(1819)の悲劇になる。一方,理想美追求の作品として,《アラスター》(1816)は〈愛する存在〉を模索して失敗するが,《エピサイキディオン》(1821)では,愛のビジョンと霊肉が合一する哲学詩に昇華している。このほか華麗で繊細な抒情短詩,夏目漱石の《草枕》にも出てくる〈雲雀の歌〉,島崎藤村の〈秋風の歌〉のモデル〈西風の歌〉があり,その結びの一句〈冬来りなば春遠からじ〉は有名である。ロマン詩論の宣言《詩の弁護》(1821)やギリシア文学翻訳,哀詩《アドネイス》(1821)も重要である。最後は,人生への深い幻滅と懐疑を示す未完詩《生の勝利》(1822)に暗示されたように,嵐と操帆のミスでヨットが転覆,悲劇的な死をとげた。
執筆者:松浦 暢
イギリスの女流作家で詩人P.B.シェリーの2番目の妻。政治哲学者W.ゴドウィンと女権拡張論者M.ウルストンクラフトとの唯一の子としてロンドンに生まれた。彼女を出産して数日後に死んだ母の生き方を理想とし,家庭を顧みぬ父を嫌ったという。しかし父のもとに出入りする多くの学者や作家から知的刺激を受け,後年夫となるシェリーとの出会いもそうした環境から生まれた。二人の結婚は彼の前妻を自殺に追いやるという悲劇を土台に6年でついえたが,夫から得た文学上の影響は大きく,21歳のとき完成させた処女作《フランケンシュタイン》(1818)も彼の示唆と指導の下に書かれたという。この作品は,夫やバイロンらロマン派詩人が社会から疎外される姿を人造怪物の悲劇に託して語り,悪疫で世界が滅びる黙示録的未来を扱った《最後の人》(1826)とともに,恐怖小説ならびにSFの先駆とされる。また学識を生かした《バルペルガ》(1823)ほか歴史小説も多い。後半生は初の女流職業作家として収入を得つつ息子パーシーPercyの養育に力を尽くしたが,夫の伝記執筆はシェリーの父に反対されるなどして,ついに果たせなかった。
執筆者:荒俣 宏
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…本来は,M.W.シェリー原作の《フランケンシュタイン,あるいは現代のプロメテウス》(1818)に登場する科学者ビクトル・フランケンシュタイン男爵の姓。今日ではもっぱら怪奇映画のスクリーンを通じて,同男爵が死体から造った〈怪物〉の通称ともされている。…
…ロンドンの商人の家に生まれた。詩人シェリーと親交を結んだがロマン主義の思想にはつねに一定の距離を保ち,懐疑的な詩論《詩の四つの時代》(1820)を書き,それへの反駁(はんばく)である《詩の擁護》(1821)をシェリーが執筆するきっかけをつくった。W.スコット風のロマンティックな冒険小説も書いたが,彼の本領は田舎の屋敷に当代の思想傾向を代表する各種の奇人変人が集まり,議論を戦わせるという設定の風刺小説である。…
…この系譜の中からは,激変する社会の現実と自己の存在との乖離(かいり)を感じ,愛に満たされず何かを求め続け現実から逃避していく〈世紀病mal du siècle〉を病んだロマン派的魂の典型が浮かび上がる。 イギリスにおけるロマン主義は,1800年ころにワーズワースとコールリジを中心に提唱され,1810年から20年にかけてバイロン,シェリー,キーツ,あるいはブレークらの詩人の登場によって頂点を迎えた。個々の作家はロマン主義的な思想と主題とを豊かに展開しているとはいえ,ロマン派としての運動体を形成することはなかった。…
…人口17万5653(1981)。ヘレスは優秀な品質のブドウ酒の生産地として知られ,この地名が転じてシェリー酒の語源となった。ヘレス平野はブドウ栽培に適し,ローマ時代からブドウ酒作りが行われていた。…
※「シェリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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