ハート(読み)はーと(英語表記)Sir Robert Hart

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハート」の意味・わかりやすい解説

ハート(Oliver Simon D'Arcy Hart)
はーと
Oliver Simon D'Arcy Hart
(1948― )

イギリス出身の経済学者。ロンドン生まれ。1969年にイギリスのケンブリッジ大学キングスカレッジを卒業し(数学学士号)、1972年にイギリスのウォーリック大学で修士号、1974年にアメリカのプリンストン大学で博士号を取得した。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスやマサチューセッツ工科大学で教鞭(きょうべん)をとった後、1993年にハーバード大学教授につき、2000~2003年には同大学経済学部長を務めた。2016年、契約理論の分析モデルを確立した功績で、マサチューセッツ工科大学教授のベント・ホルムストロームとノーベル経済学賞を共同受賞した。専門は契約理論、企業理論、コーポレートファイナンス、法と経済学などである。

 ハートはあらゆる事態を想定した契約を結ぶことはできないという「不完備契約incomplete contract」の分野で、予測不能なことが起きた際は、その対策を決める決定権や、決定権と密接な関係にある資産所有権が重要であることを理論的に明示した。そのうえで、決定権限や資産所有権をいかに配分するのが望ましいかを理論的に分析するモデルを導入。これを企業の買収・合併(M&A)やアウトソーシング、企業の資金調達方法や議決権の決定、企業不祥事などの企業統治(コーポレートガバナンス)、公営企業の民営化、破綻(はたん)法などの法律、政党の意思決定や投票制度などの政治学などに応用し、問題を精密に分析できるようにした。代表的な著書に『Firms, Contracts, and Financial Structure』(邦訳『企業 契約 金融構造』)がある。

[矢野 武 2017年3月21日]

『オリバー・ハート著、鳥居昭夫訳『企業 契約 金融構造』(2010・慶応義塾大学出版会)』


ハート(Sir Robert Hart)
はーと
Sir Robert Hart
(1835―1911)

イギリス外交官。中国名は赫徳(ハート)。2月20日北アイルランドのポートアダウンで、酒造業を営むヘンリー・ハートの長男として生まれる。ベルファストのクイーンズ・カレッジ在学中に、学長クラレンドン伯爵は外務大臣の任にあり、当時香港(ホンコン)総督バウリングが唱導する、中国・日本に強力な領事業務を確立すべしという提案を受け、優秀な学生の選抜を試みた。このとき抜擢(ばってき)されて、1854年香港に派遣され、貿易監督庁に勤務した。その後、イギリスの寧波(ニンポー)領事館の通訳官、広東(カントン)領事館の補佐官、アロー戦争時、広州の連合軍司令部の書記官を務めた。1859年3月広東領事館の通訳官に復帰し、6月には、新設された広東海関の副税務司となった。1863年初代総税務司レイの後を引き継ぎ、1908年に至るまで総税務司として北京(ペキン)にあり、海関業務の拡充のみならず、中国の行政・財政の近代化、さらに対外交渉の仲介などにおいて、重要な役割を果たした。総理衙門(がもん)に付設された同文館(外国語学校)の運営にもあたり、また、1875年には北京および上海(シャンハイ)海関・鎮江(ちんこう)海関に郵政部を付設し、総郵務司を兼任した。1875年の中英芝罘(チーフー)協定、1885年の清仏(しんふつ)戦争、1895年の日清戦争賠償金問題、1900年の義和団事件などにおいて中国と列国との交渉の斡旋(あっせん)を行っている。彼は「局外旁観(ぼうかん)論」「海関金単位採用」「幣制改革案」を論じ、中国の統一と安定を目ざす漸進的改革論を示している。

 1908年4月、1年間の休暇を与えられて帰国したが健康状態が悪化し、1911年9月20日、総税務司に在職のままバッキンガムシャーのマーローで永眠した。清朝滅亡の3週間前であった。

[浜下武志]


ハート(William S. Hart)
はーと
William S. Hart
(1864―1946)

アメリカの映画俳優、監督。ニューヨーク郊外の生まれ。出演作の多くは自らが監督も兼ねている。舞台俳優から50歳で映画にデビューするが、まもなく孤独感ただよう演技で西部劇スターの先駆的存在となる。また、アメリカ先住民を出演させ、セットや衣装を入念に再現することを主張、西部劇にリアリズムを導入した。俳優としての代表作に『鬼火ロウドン』(1918)、『人生の関所』(1920)、『二挺拳銃(にちょうけんじゅう)』(1923)、『曠原(こうげん)の志士』(1925)などがある。

[奥村 賢 2022年6月22日]

資料 監督作品一覧

地獄の迎火 Hell's Hinges(1916)
沈黙の人 The Silent Man(1917)
鬼火ロウドン ‘Blue Blazes’ Rawden(1918)
曠原の志士(キング・バゴットとの共同監督) Tumbleweeds(1925)


ハート(Moss Hart)
はーと
Moss Hart
(1904―1961)

アメリカの劇作家、演出家。彼の原作にG・S・コーフマンが加筆した『生涯に一度』(1930)で成功を収め、このコンビによる風刺喜劇『それを持っては行かれない』(1936。ピュリッツァー賞受賞)、ミュージカル台本『私は身を正したい』(1937)、『晩さんにきた男』(1939)など秀作が続いた。ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の演出も手がけ、単独作もあるが、『生涯に一度』上演に至るまでを描いた自伝『第一幕』(1959)は続編を期待されるほど好評であった。

[森 康尚]

『内村直也訳『晩さんにきた男』(『現代世界戯曲選集9 アメリカ篇2』所収・1954・白水社)』


ハート(Francis Bret〔t〕 Harte)
はーと
Francis Bret〔t〕 Harte
(1836―1902)

アメリカの作家。ニューヨーク州オルバニーの生まれ。父親の死後カリフォルニアに移住し、さまざまな職業を体験したのち、ジャーナリズム界に入り、1868年雑誌『オーバーランド・マンスリー』の創刊に加わり、彼自身も短編『ロアリング・キャンプの福の神』(1868)を発表して圧倒的な人気を博した。続いて『ポーカー・フラットの追放者』(1869)、『テネシーの相棒』(1869)などを矢つぎばやに世に出して、一躍時代の寵児(ちょうじ)となった。ついで東部のニューヨークに出て、同じような作品を発表し続けたが、過去の栄光はついに戻らず、筆を折るようにしてヨーロッパの各領事館に勤めたのち、ロンドンで客死。彼の作品では初期の短編がもつ、社会からのけ者にされた賭博(とばく)師や荒くれ者たちの、怨念(おんねん)を超えた人間的な強さ優しさがみなぎる作品が最上であり、擬古的な文体ではあるが、地方色文学の先駆けとして名高い。

[亀山照夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハート」の意味・わかりやすい解説

ハート
Hart, Oliver

[生]1948.10.9. ロンドン
イギリス生まれのアメリカ合衆国の経済学者。フルネーム Oliver D'Arcy Hart。父はイギリスの著名な医学者,曾祖父は男爵の称号をもつユダヤ系銀行家で自由党の下院議員サミュエル・モンタギュー。1969年にケンブリッジ大学キングズ・カレッジで数学の学士号,1972年にウォーリック大学で経済学の修士号,1974年にプリンストン大学で経済学の博士号を取得した。1974~75年にエセックス大学で,1975~81年にケンブリッジ大学で教鞭をとったあと,1981~85年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの,1985~93年にマサチューセッツ工科大学の経済学教授を務めた。以降はハーバード大学で教鞭をとり,1997年から同大学のアンドルー・E.フラー記念経済学教授。雇用契約や保険契約,およびビジネスや商取引における「情報の非対称性」,のちに「不完備契約」と呼ばれるようになった,当事者が前もって詳細な条件を準備することができない契約に関する問題の解決に貴重な貢献をした。ハートによると,そのような状況下で当事者同士が合意できない場合,だれが決定権をもつかを契約に明記すべきであるという。また,みずからの理論を応用して,刑務所システムの民営化を唱えた。2016年,契約理論への功績により,フィンランドの経済学者ベント・ホルムストロムとともにノーベル経済学賞(→ノーベル賞)を授与された。

ハート
Hurt, William

[生]1950.3.20. ワシントンD.C.
アメリカ合衆国の俳優。レパートリー・シアターで演じたのち,『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』Altered States(1980)で映画デビューを果たす。『白いドレスの女』Body Heat(1981)で初主演。『蜘蛛女のキス』Kiss of the Spider Woman(1985)で同性愛者の囚人を演じ,アカデミー賞主演男優賞を受賞した。『愛は静けさの中に』Children of a Lesser God(1986),『ブロードキャスト・ニュース』Broadcast News(1987),『ヒストリー・オブ・バイオレンス』A History of Violence(2005)の演技も高く評価された。ほかの出演作品として『偶然の旅行者』The Accidental Tourist(1988),『スモーク』Smoke(1995),『母の眠り』One True Thing(1998),『シリアナ』Syriana(2005),『イントゥ・ザ・ワイルド』Into the Wild(2007)などがある。テレビドラマ『デューン/砂の惑星』Dune(2000),『ダメージ』Damages(2009),テレビ映画『史上最大のスパイ事件』Master Spy: The Robert Hanssen Story(2002)などにも出演。

ハート
Harte, (Francis) Bret

[生]1836.8.25. ニューヨーク,オールバニ
[没]1902.5.5. ロンドン
アメリカの作家。少年時代は一家とともに各地を転々とし,1854年にカリフォルニアに移住。 68年『オーバーランド・マンスリー』誌の創刊とともにその主筆となった。ここに発表した代表的短編『ロアリング・キャンプのラック』 The Luck of Roaring Camp (1868) ,『ポーカー・フラットの追放者たち』 The Outcasts of Poker Flat (69) ,『テネシーの相棒』 Tennessee's Partner (69) などはいわゆる地方色に富む小説の先駆として有名。 70年にはそれらを集めた『ロアリング・キャンプのラックその他』を出版。 71年東部に移ってからは作家としてはふるわず,78年プロシアのクレフェルト,80年グラスゴー駐在領事となり,85年以後ロンドンで余生をおくった。ほかに滑稽詩『正直者ジェームズは語る』 The Plain Language From Truthful James (70,『野蛮なシナ人』 The Heathen Chineseともいう) 。

ハート
Hearts

取らなければ取らないほど勝ちというカードゲーム。18世紀に行なわれていたリバーシ Reversiがその起源とされ,1880年頃アメリカ合衆国で発展した。普通 4人でプレーする。ジョーカーを除く 52枚のカードを時計回りに 1枚ずつ全部配る。配り手の左隣から打ち出し,打ち出されたのと同じマークのカードがあれば必ず出さなければならない。なければ他のカードを代わりとするが,出しても勝てない。カードの強さは A,K,Q,J,10,…,2の順。1巡目に勝った人が次の打ち出しをする。こうして終わりまでプレーし,取った ♡ の枚数の最も少ない者を勝ちとする。チップを使う方法では,一勝負終了後に勝ったカードのなかの ♡ 1枚につきチップ 1枚を場に払い,♡ を 1枚も取らなかった者が全チップ 13枚を取る。全員が ♡ を取ったらチップを次回に持ち越す。1人で ♡ 13枚全部取ったらチップを払わなくてよい。ハートの変形の一つにブラック・レディ・ハート Black Lady Heartsがある。これは ♡以外に ♠ Qもマイナス札とし,1枚でマイナス13に数える。

ハート
Hart, Moss

[生]1904.10.24. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]1961.12.20. カリフォルニア,パームスプリングズ
アメリカ合衆国の劇作家,演出家。ジョージ・コーフマンと合作で『一生にただ一度』Once in a Lifetime(1930),『それを持っては行けない』You Can't Take It with You(1936,ピュリッツァー賞)などの喜劇を書き,単独ではミュージカル『レディ・イン・ザ・ダーク』Lady in the Dark(1941)が有名。演出家としては『マイ・フェア・レディ』My Fair Lady(1956),『キャメロット』Camelot(1960)が代表作。自伝 "Act One"(1959)がある。

ハート
Hart, Albert Bushnell

[生]1854.7.1. ペンシルバニア,クラークスビル
[没]1943.6.16. マサチューセッツ,ベルモント
アメリカの歴史家。 1880年ハーバード大学卒業。パリ,ベルリンで学び,83年フライブルク大学で学位を得,同年よりハーバード大学で教鞭をとり,97~1926年同大学の歴史学,政治学の教授をつとめた。 09年アメリカ歴史学会会長,12年アメリカ政治学会会長となった。約 100冊に及ぶ著書,共著,編纂叢書があり,『アメリカ国民叢書』 American Nation (28巻,1903~18) を編集。主著『アメリカ外交政策の基礎』 The Foundations of American Foreign Policy (1892) 。

ハート
Hart, Sir Robert

[生]1835. アルスター
[没]1911
中国,清代の税関 (→海関 ) 行政の最高責任者となったイギリスの外交官。中国名は赫徳。北アイルランド出身。咸豊4 (1854) 年通訳として中国に赴任,同9年広東の副税務司となり,同治2 (63) 年総税務司に昇任。海関制度の整備に努めたほか,清朝の外交,財政,通商にも大きな発言力をもち,また母国の利害をよく代弁した。のち,清朝が総税務司を外務部から「税務処」の管轄に移したことに不満で,光緒 34 (1908) 年休暇で帰国し,在職のまま死んだ。

ハート
Hart, Herbert Lionel Adolphus

[生]1907.7.18.
[没]1992.12.19.
イギリスの法哲学者。オックスフォード大学を出て弁護士となったが,第2次世界大戦後は母校に戻って教職についた。いわゆる日常言語学派の代表的な哲学者であり,その方法を法哲学に導入し,ルールという観念を用いて法の歴史的,社会的な構造と機能を解明した。法の定義ないし認識と評価とを区別し,法実証主義の主張を純化した。主著『法の概念』 The Concept of Law (1961) 。

ハート
Hart, Charles

[生]?
[没]1683.8. ミドルセックス,スタンモア
イギリスの俳優。シェークスピアの甥である俳優 William Hartの息子とされている。初めブラックフライアーズ座やキリグルー一座の少年俳優として女方を演じていたが,成人後はオセロやブルータスで好評を博した。S・ピープスの『日記』のなかでよく言及されている。

ハート
Hart, William Surrey

[生]1870.12.6. ニューヨーク,ニューバーグ
[没]1946.6.23. カリフォルニア,ニューホール
アメリカの映画俳優。巡業劇団の役者から映画に転じ,重厚な性格表現で無声映画時代の最高の西部劇スターとなった。制作,監督を兼ねた場合が多い。主演作品『鬼火ロードン』 (1918) ,『人生の関所』 (20) ,『二丁拳銃』 (23) 。

ハート
Hart, John

[生]1711頃.コネティカット,ストーニンタン
[没]1779.5.11.
アメリカ独立革命期の政治家。独立宣言署名者の一人。 1761~71年にニュージャージー植民地議会議員をつとめ,76年大陸会議ニュージャージー代表として活躍した。 77~78年ニュージャージー保安委員会委員長。

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