マクシーモフ(その他表記)Vladimir Emel'yanovich Maksimov

改訂新版 世界大百科事典 「マクシーモフ」の意味・わかりやすい解説

マクシーモフ
Vladimir Emel'yanovich Maksimov
生没年:1932-95

ロシア作家レニングラードの労働者の家庭に生まれたが,父がラーゲリに送られたため,極貧苦境に落とされ,少年時代からソ連各地を転々とした。《われらは大地を蘇らす》(1961),《人間が生きている》(1962)の中編小説で注目されたが,まもなく国内での出版が禁じられ,長編創造の七日間》(1971)と《検疫》(1973)のロシア語版を西ドイツで出版し,〈第2のソルジェニーツィン〉として高く評価されると同時に,反体制運動に荷担し,74年に亡命を余儀なくされた。のち,パリに住み,《コンチネント》誌の編集長として,亡命文学者の中核をなした。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マクシーモフ」の意味・わかりやすい解説

マクシーモフ
まくしーもふ
Vladimir Emel'yanovich Maksimov
(1932―1995)

ロシアの小説家。モスクワに生まれる。児童養護院で育ち、普通工養成所を修了。種々雑多な労働に従事し各地を放浪しながら独学するが、不良行為のかどで投獄されもした。1956年処女詩集を出版、1961年の中編小説『われわれは大地をよみがえらせる』でパウストフスキーに認められ、作家的地位を得る。卑語、俗語を交えた重厚な文体を駆使し、社会矛盾と底辺に生きる人々の真実を描くところから、検閲のとがめも受けた。長編『創造の7日間』『検疫』は地下出版で流布し、国際的な反響をよんだ。

[中本信幸 2016年1月19日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マクシーモフ」の意味・わかりやすい解説

マクシーモフ
Maksimov, Vladimir Emel'yanovich

[生]1932.12.9. モスクワ
[没]1995.3.26. パリ
ソ連生れの作家。労働者の家庭に生れ,無頼な浮浪児の生活をおくりながら,読書によって独学。 1956年に処女詩集『歩哨に立つ世代』 Pokolenie na chasakhを刊行。 62年には中編『人間が生きている』 Zhiv chelovekを発表,好評を博した。その後『創造の7日間』 Sem' dnei tvoreniyaを書上げたが国内で発表できず,71年に西ドイツで発表。これは鉄道員ラシコフ家の3代の歴史を通じてソ連社会のすべてを描き出した野心作であるが,作者は 74年3月パリへ亡命した。同年,西ドイツで創刊されたロシア文学の発表機関である雑誌『コンチネント』の編集長に就任した。

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