マニ(読み)まに(その他表記)Mani ペルシア語

デジタル大辞泉 「マニ」の意味・読み・例文・類語

マニ(Mani)

[216~277]マニ教開祖ペルシア人バビロニア生まれ。24歳のとき啓示を受けてマニ教を創始自らを光明界からの聖なる預言者としたが、ゾロアスター教から迫害を受け、処刑された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マニ」の意味・わかりやすい解説

マニ
まに
Mani ペルシア語
Manes 英語
Manikhaïos ギリシア語
Manichaeus ラテン語
(216―274/276)

ペルシア人のマニ教の創始者。バビロニアに生まれた。両親ともに貴族出身。父パテーグは洗礼派に属していた。12歳のとき第1回の啓示に接し、24歳のとき第2回の啓示に触れて召命を経験、新教団設立を決意して父の教団を離れた。北西インド伝道したが、バビロニアに戻りシャープール1世Shāpūr Ⅰ(在位240~270)兄弟を改宗させ、ササン王朝をはじめペルシア王国内に伝道、ローマ領内にも宣教師を送った。バーラーム1世Bahrām Ⅰ(在位273~276)の治下、ゾロアスター教の僧侶(そうりょ)に憎まれ、王命により召喚を受け、投獄され刑死した。

加藤 武 2018年6月19日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マニ」の意味・わかりやすい解説

マニ
Mani

[生]215/216. 南バビロニア
[没]274頃.グンデ・シャプール
ペルシアの宗教家,マニ教の創始者。ギリシア名 Manēs,ラテン名 Manichaeus。宗教家であった父のもとで育ち,幻視に見た天使から新しい宗教を伝えよと命じられた。インドに伝道して成功し,帰国してシャプール1世に迎えられたが,バフラム1世の治下,ゾロアスター教徒の攻撃を受け,捕えられて死んだ。アダムエノク,釈尊,ゾロアスター,イエスらは真の宗教を教えた預言者であったが,地方的存在にとどまったのに対し,みずからは普遍的伝道者であると自称し,その教えの伝播に力を注いだ。

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世界大百科事典(旧版)内のマニの言及

【マニ教】より

…イラン人マニMani(216‐276∥277。正確にはマーニーMānī)によって3世紀に創始,唱導された二元論的宗教。…

※「マニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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