日本大百科全書(ニッポニカ) 「マルトフ」の意味・わかりやすい解説
マルトフ
まるとふ
Л. Мартов/L. Martov
(1873―1923)
本名Юлий Осипович Цедербаум/Yuliy Osipovich Tsederbaum。ロシアの革命家、社会民主労働党員。コンスタンティノープルの商人の子に生まれる。ペテルブルグ大学を中退し、1895年、レーニンによって創設された「労働者階級解放闘争同盟」に加わったが、96年に逮捕され、97年シベリアに流刑となった。1901年ミュンヘンに亡命、『イスクラ』編集者の1人となる。3年のロシア社会民主労働党(共産党)第2回大会でレーニンと対立、メンシェビキの指導者となった。05年の革命の際ペテルブルグ・ソビエトの活動に参加。反動期には解党派の『社会民主主義者の声』を編集、17年メンシェビキ‐国際派のグループとともにメンシェビキ「左派」として十月革命に協力し、第7、第8回全ロシア・ソビエト大会代議員、19年には全ロシア・中央執行委員会委員に選出された。国内戦期にはプロレタリアート独裁に反対し、20年亡命先のドイツで死去。回想録『社会民主党員の手記』(1922)がある。
[木村英亮]
『マールトフ著、加藤一郎訳『ロシア社会民主党史』(1976・新泉社)』▽『I・ゲツラー著、高橋馨訳『マールトフとロシア革命』(1975・河出書房新社)』