日本大百科全書(ニッポニカ) 「コソボの戦い」の意味・わかりやすい解説
コソボの戦い
こそぼのたたかい
1389年6月28日、バルカン半島のコソボKosovo平原において行われた、オスマン・トルコ軍とセルビアを中心とするバルカン連合軍との戦い。オスマン軍は機動力に富む騎兵部隊とともにバルカン半島に進出したが、セルビア王ラザール指揮下の連合軍は、数のうえでも勝っており、緒戦では優勢であった。セルビアの領主オビリッチが、オスマン軍を指揮するスルタンのムラト1世を刺殺した。しかしオスマン軍は、ムラト1世の息子バヤジトのもとに結集し、連合軍をついに打破した。ラザールは「現世の王国」より「天上の王国」を選び、部下の将兵を守ろうとしてその生命を失ったと、セルビアの民族叙事詩のなかで歌われている。コソボの戦いを扱ったこれら一群の叙事詩は語り継がれ、近代セルビアのナショナリズムを生み出す一要因となった。なお、1448年に、ムラト2世の率いるオスマン軍とフニャディが率いるハンガリー軍との戦いがコソボ平原で行われた。その際、セルビアは中立を守った。
[柴 宜弘]