自由都市(読み)ジユウトシ(英語表記)Freistadt ドイツ語

デジタル大辞泉 「自由都市」の意味・読み・例文・類語

じゆう‐とし〔ジイウ‐〕【自由都市】

神聖ローマ帝国などで教会や封建諸侯に属さず、皇帝国王市政や商取引の自由を与えられた都市。ドイツリューベックブレーメンハンブルクフランスコルマルなど。帝国自由都市。また、帝国の影響力から完全に脱した中世イタリアベネチアフィレンツェなどの都市国家。自由市。コミューン

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精選版 日本国語大辞典 「自由都市」の意味・読み・例文・類語

じゆう‐としジイウ‥【自由都市】

  1. 〘 名詞 〙
  2. ヨーロッパで、もともと司教都市であったものが、一三、四世紀頃市民階級の台頭によって宗教領主の支配から脱し帝国直属都市となったもの。一般の帝国都市以上の特権を認められ、ほぼ完全な自治権をもっていた。バーゼルストラスブールマインツケルンなど。また、一般の帝国都市も、その後、皇帝との特殊な関係が名目的になっていき、やがて自由帝国都市と呼ばれるようになる。
  3. 一八一五年のドイツ連邦に加盟したハンブルク、ブレーメン、リューベック、フランクフルト‐アム‐マインの四都市。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「自由都市」の意味・わかりやすい解説

自由都市
じゆうとし
Freistadt ドイツ語

中世ヨーロッパにおいて、国王や諸侯の支配から独立し、大幅な自治権を獲得した都市。厳密には中世末から近世初頭にかけてのドイツで、帝国直属の特権を認められた都市をさし、狭義の自由都市と帝国都市とに区別される。前者はもともと司教座所在地の都市であったが、13~14世紀に司教の都市支配権を排除しながら、自治権を闘い取った都市で、ケルン、マインツ、ウォルムス、バーゼル、シュトラスブルク、シュパイエルその他と、ハンザ都市リューベックとが含まれる。後者は、王領地、帝国領に成立した都市で、一時は100以上を数えた。このタイプの都市には、皇帝の実質的支配権がある程度残っていた点で前者と異なっていたが、それを端的に示すのが、財政上の理由で皇帝が都市そのものを質入れする(帝国担保)という現象である。いくつかの帝国都市は担保が解消されないまま帝国直属性を失い、またいくつかの都市は都市自らが担保を肩代りして帝国直属性を回復し、その機会に自由都市なみの完全自治権を獲得した。中世末より、自由都市を含めた帝国都市が帝国会議に出席する慣行がつくられ、ウェストファリア条約(1648)でこの出席資格が確立し、領邦国家と並んで、裁判権、貨幣鋳造権、宣戦・講和の権利が認められた。近世初頭、帝国担保は禁止されたが、他方帝国権力の空洞化、領邦国家権力の拡張により、帝国都市はしだいに自立性を失い、ドイツ連邦の成立(1815)後はフランクフルト(・アム・マイン)、ハンブルク、ブレーメン、リューベックの4自由都市のみが、領邦国家と並んで連邦構成員となった。その後フランクフルトはプロイセン領となり、ハンブルク、ブレーメンもナチス時代に一時自立性を失ったが、戦後その地位を回復し、リューベックとともにこの3自由都市が現在でもドイツ連邦共和国の構成員となっている。

[平城照介]

『増田四郎著『都市』(1968・筑摩書房)』『鯖田豊之著『封建都市』(1957・創元社)』『F・レーリッヒ著、魚住昌良・小倉欣一訳『中世ヨーロッパ都市と市民文化』(1978・創文社)』『H・プラーニッツ著、林毅訳『中世ドイツの自治都市』(1983・創文社)』『平城照介「ヨーロッパにおける中世的支配と都市」(『中世史講座3』所収・1982・学生社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「自由都市」の意味・わかりやすい解説

自由都市 (じゆうとし)
freie Städte[ドイツ]

ヨーロッパの,主として中近世のドイツに発達した都市のあり方を示す呼称。ドイツでは,13~14世紀のころ,長年の交渉を通し,時に激しい闘争を経て,国王,司教,世俗貴族などの都市領主から大幅な自立を獲得する都市が現れた。これらは,バーゼル,ケルン,シュトラスブルク(ストラスブール),ウォルムスなど司教都市に多い。旧来の帝国都市Reichsstadtが負っていた皇帝にたいする軍役・貢納義務からも解放されており,したがってその法的地位は帝国都市のそれよりまさっていた。しかし有力な帝国諸都市との区別は明確でなく,両者はしばしば自由帝国都市freie Reichsstadtとして一括されることとなる。近世になると自由都市の多くが領邦国家の下に組みいれられて各種の特権を失っていった。ドイツ以外でもイタリア,イギリス,フランスの都市に同様の自治権を享受したものがあり,これらも自由都市と総称されることがある。日本では,16世紀の堺などがどの程度に自由都市であったのか,というかたちで議論されている。

 また近代に,法的に独立の主権を認められた都市も自由都市とよばれる。第一には,1815年のドイツ連邦の構成員となった4都市ハンブルク,ブレーメン,リューベック,フランクフルト・アム・マインを指した。1866年,フランクフルトはプロイセンに併合され,他の3自由都市は北ドイツ連邦の,次いで71年ドイツ帝国の構成員となった。リューベックはナチス第三帝国の時代プロイセンに帰属(1937),ブレーメンも一時独立を失ったが,第2次世界大戦後は,ハンブルクとともにドイツ連邦共和国(西ドイツ)を構成する一州となった。
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百科事典マイペディア 「自由都市」の意味・わかりやすい解説

自由都市【じゆうとし】

中世ドイツの帝国都市(国王・皇帝直属の都市)のうち,兵員提供・歳貢納付の義務を免除された特権都市。13―14世紀ころ登場し,のち他の帝国都市でもその義務が名目化したので,両者の区別がなくなり自由帝国都市として一括された。市民の自治組織で運営され,帝国議会の成員たる資格をもっていた。1810年ナポレオンの改革で消滅。ナポレオン没落後,1815年ウィーン会議でハンブルクブレーメンリューベックのハンザ3都市とフランクフルト・アム・マインは自由都市として復活しドイツ連邦の一員となったが,それは国際的に主権を認められた小国家であった。フランクフルトはプロイセンに併合され(1866年),他の3都市はいずれも北ドイツ連邦,ドイツ帝国の構成員となった。
→関連項目ストラスブール中世都市都市

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「自由都市」の解説

自由都市(じゆうとし)
Freistadt

中世ドイツの帝国都市中14世紀以降現れた一群の都市。のちには帝国都市一般の呼称。司教都市中帝国直属権を獲得した一群の都市で,従来の帝国都市が国王,皇帝に対して負っていた兵員提供・歳貢納入の義務から自由だったのでその名がある。だが帝国都市の義務もしだいに名目化していったので,両者は自由帝国都市として一括された。市民の自治組織によって運営される独立した政治単位であり,帝国身分として帝国議会への出席が認められていた。近世の地方領主権強化,領邦経済確立の結果地方都市に転落するものが続出し,ナポレオン支配時代の領域再編成で,ハンブルクブレーメンリューベックフランクフルト・アム・マイン以外は独立性を喪失。

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旺文社日本史事典 三訂版 「自由都市」の解説

自由都市
じゆうとし

中世ヨーロッパにおいて,商工業の発達に伴い,国王や諸侯から自治の特権を獲得した都市
南ヨーロッパのヴェネツィア・フィレンツェ,あるいは北ヨーロッパのハンザ同盟の諸都市をさす。日本では室町時代に,港町・門前町など各種の都市が発達し,堺・博多・平野などは,惣村の組織を導入し,町行事・年寄など町内の商工業者の代表者が会合衆 (えごうしゆう) などと呼ばれて,自治的な行政権・司法権を行使した。イエズス会の宣教師らは,堺をヴェネツィアに似ていると報告しているが,ヨーロッパのそれと日本の場合とは,成立の背景やその後の推移など,趣を異にしている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「自由都市」の解説

自由都市
じゆうとし
Freie Städte

中世以来,地方領主・地方主権に属さず,国王・皇帝に直属したドイツの自治都市
もとは帝国都市と呼ばれたが,その中に自由都市といわれる一群の都市が生まれ,のち帝国都市全体を自由都市と称した。帝国都市としては13世紀以来のアーヘンなどの王宮都市,宗教領主の支配を離れて帝国直属になった自由都市にはケルン・マインツ・ヴォルムスなどの司教都市,経済的発展により自由都市になったものにはアウグスブルク・リューベック・ハンブルクなどがあり,これらはいずれも独自の自治組織をもつ独立の政治単位として,16世紀には国会出席権も確立した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「自由都市」の解説

自由都市
じゆうとし

おもにヨーロッパの中世都市のうち,国王・宗教領主・世俗領主などから自立して種々の自由や特権を獲得した都市。ドイツの場合,13~14世紀を中心にバーゼル,ケルン,マインツなどが事例とされ,イタリア,フランス,イギリスにもみられる。日本でも比較史的観点から15世紀に同様の自治的都市共同体が成立したとして,和泉国堺・筑前国博多・摂津国平野・山城国大山崎・近江国堅田(かたた)・伊勢国大湊などがその例とされる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「自由都市」の意味・わかりやすい解説

自由都市
じゆうとし
free town; Freistadt

中世のヨーロッパの都市のなかで,封建領主の支配の外にあって発達した商業都市。中世の都市の大部分は封建領主や教会などの支配と規制を受けて発達したが,一般市民の経済力の拡大に伴い,支配者の拘束を脱して市民の自治,自衛が行われ,独自の徴税,司法,行政などを行なった。イタリアのベネチア,ジェノバ,ドイツのハンブルク,ブレーメンなどが典型。日本では中世,近世に発達した諸都市のうち堺などに一時自由都市的な時代があった。

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世界大百科事典(旧版)内の自由都市の言及

【楽市令】より

…これらを通して楽市場の基本的性格を考えるならば,あらゆる俗世間的な縁,絆(きずな)が切れる〈縁切り〉の原理が貫いている場であると規定できる。このようにあらゆる権力の支配,社会の規制から自由であることを社会的に承認されていた楽市場は,中世の自由都市,自治都市成立の原点を占める存在であり,当時十楽(極楽)の津(港)と呼ばれた伊勢桑名は,自治都市として権力の支配を拒否していた。事実,中世の自由都市,自治都市を代表する堺や博多も楽市ないしは楽津と呼ばれる存在であったことは,1587年豊臣秀吉が博多に出した法令が,楽市という言葉はないものの,その内容はまったく保証型楽市令と同じものであったことからも確認される。…

※「自由都市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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