神聖ローマ皇帝カール4世が,1356年1月10日に,ドイツ国王(すなわち神聖ローマ帝国皇帝となる)の選挙制と選帝侯特権を主内容としてニュルンベルク帝国議会で発布した帝国法で,同年12月25日メッツの帝国議会で補足された。勅書の印璽に黄金を用いたため金印勅書(黄金文書)と呼ばれる。金印憲章と呼ばれることもある。31章から成るが新法ではなく,慣習法を成文化したもの。
神聖ローマ帝国では,1198年以来ことに大空位時代以後頻繁に王朝交代が生じ,この過程で選帝侯に独占的国王選挙権が獲得された。この慣習が7名の選帝侯による国王選挙法として法制化された。
選帝侯またはその代理人の多数決(自己投票を含む4票獲得)により国王が選挙される(2章)。選挙主宰者マインツ大司教が,1章に明記された護送規定の下で,選帝侯をフランクフルト・アム・マインに招く。最初の投票をトリール大司教が行う。次にケルン大司教,次いで世俗選帝侯の最初にボヘミア王,以下ライン宮中伯,ザクセン大公,ブランデンブルク辺境伯の順で投票が行われ,マインツ大司教が有利な最終投票者になる(4章)。世俗選帝侯の投票権が相続により分割・係争されぬよう選帝侯領の不可分(20,25章),長子相続法にのっとった相続および18歳までの後見制が規定された(7章)。この規定は将来の選挙制を保証するのみならず,選帝侯はもとより他の諸侯の領国支配強化に役だった。
フリードリヒ2世の諸侯法(1220,1231)が諸侯の領邦国家(ランデスヘルシャフト)形成を容認した以後の国制推移の中で,諸侯は国王から独立したさまざまな権利をもつようになっていたが,金印勅書によって選帝侯は無制限裁判高権(不移管,不上訴特権-11章),至高権(24章)を獲得し,帝国諸高権(レガリア)すなわち鉱業権,採塩権,関税徴収権,貨幣鋳造権等を得た(9,10章)。その反面,領邦国家形成に敵対する動向はおさえられ,市外市民の採用(都市が勢力範囲を周辺農村に拡大し,隷属農民をこの名で受容すること)や領邦君主に対抗する都市内外の団体や同盟は厳禁された(15,16章)。これは,カール4世が属するルクセンブルク家自体が,世襲王国ボヘミアを領国とする最強の選帝侯であり,他の領邦君主と利害を共通しており,都市と市民層の台頭を抑圧する必要があったためである。やがて一般諸侯が選帝侯なみの特権獲得を行うにつれて,選帝侯会議は国政への助言(12章)の実体を失い,権力を分有する領邦諸国家が家門権力に拠る王権と並存する二元的国制が確立するに至る。
金印勅書は,国王選挙への教皇の認可権その他の関与にはまったく言及していない。国王は選挙後初の統治行為として選帝侯の特権の認証を求められるのみで(2章),教皇の承認は国王の支配権行使の前提ではなく,選挙の追認にとどまる。13世紀以降教皇が要求した国王空位時の帝国代理職はドイツに関しては拒否され,フランク法地域ではライン宮中伯が,ザクセン法地域ではザクセン大公が王位空位時の帝国代理職とされた(5章)。認可権と代理職要求をめぐる教皇とドイツ・神聖ローマ帝国の争いは,特にルートウィヒ4世時代に激化したが,勅書では,1338年の〈選帝侯判告〉とフランクフルト帝国議会での帝国法〈リケト・ユリス〉に盛られた基本原則(国王選挙の完結性,国王選挙=皇帝選挙)が貫徹された。
〈皇帝位に就くべきローマ人の王〉の称号(1章)に見られる,選挙されたドイツ国王(=神聖ローマ皇帝)のドイツ以外の帝国領域への支配要求権は,勅書により帝国法として確定したといえる。皇帝戴冠に関して教皇と協約を結ぶことは外交交渉に属する。また戴冠をしなくてもよい。
国王選挙の法制化によって多数票(4票)を獲得しうる勢力の王位獲得は可能になった。皇帝位がドイツ王を経由してのみ獲得可能であるため従来も外国勢力の介入があった(大空位時代)が,選帝侯の固定でこの傾向は助長された。反面,同一家門による王位継承が可能になり,ルクセンブルク家,次いで1438年以降ハプスブルク家が帝位を継承した。金印勅書は13世紀以来の既得権利,慣習法の成文化であり,領邦国家と家門王権を公認するものであった。
執筆者:池谷 文夫
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1356年、神聖ローマ皇帝カール4世が発布した帝国法。黄金文書(もんじょ)ともいわれる。封蝋(ふうろう)に金箔(きんぱく)を置き、その上から捺印(なついん)されていたため、この名がある。皇帝選挙の手続と、選帝侯の法的地位を確定したもので、1806年の帝国解体まで効力をもち続けた。全文31章からなり、1~23章は1月10日のニュルンベルク帝国会議で、残り24~31章は12月25日のメッツ帝国公議で公布された。中心をなすのは1~7章である。選挙権は聖俗の7人の選帝侯に限られ、選挙は多数決によって決定される。マインツ大司教がフランクフルト・アム・マインに選挙会議を招集し、まずトリール大司教が投票、ケルン大司教、ベーメン王、ライン宮廷伯、ザクセン大侯、ブランデンブルク辺境伯の順でこれに続き、最後にマインツ大司教が投票する。選帝侯領は長子相続とされ、分割相続は禁止された。8~11章は選帝侯に特別な裁判権を認め、関税徴収権、貨幣鋳造権等の特権を与えている。12章では、年1回の選帝侯会議の招集を規定しているが、これは実現されなかった。15~16章は、ラント平和(フリーデ)のための同盟以外、都市同盟のようなあらゆる同盟を禁じ、市域外の住民に市民権を与えることを禁止しており、勅書の背後に大諸侯たちの反都市的政策があったことを示す。なお、勅書は教皇の皇帝承認権を完全に無視している。
[平城照介]
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神聖ローマ皇帝カール4世が1356年に出した帝国法。文書の印章に黄金が用いられていたところからこの名がある。最も重要な規定は国王選挙の手続きと選帝侯の家柄およびその権利を定めたものであるが,選帝侯会議の定期的開催やフェーデ禁止など帝国統治上の規定もある。多くは13世紀以来の慣行の成文化であるが,帝国国制の整備上きわめて重要な意味をもつ勅書である。
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… 学術・文化面をみると,文豪ゲーテの名を冠し,近年は社会哲学者アドルノ(1903‐69)らのフランクフルト学派で著名となった総合大学(1914年創立。1982‐83年には21専攻,学生数約2万7000)とショーペンハウアー,G.フライタークなど有数のコレクションを蔵する付属図書館,第2次大戦以後ドイツ語で書かれた全世界の出版物を収集するドイツ図書館,金印勅書をはじめ貴重な史料を保存する市立文書館,イエズス会派の聖ゲオルク哲学・神学大学,音楽大学,教育大学があり,マックス・プランク協会のヨーロッパ法史,生物物理学,脳の各研究所,パウル・エーリヒ実験治療研究所,フロベニウス民族学研究所も置かれている。また,シュテーデル美術館,ゲーテの生家を復元した記念博物館,ゼンケンベルク自然史博物館,新装なったオペラハウス,市立劇場,熱帯植物園など多彩な文化施設が備わる。…
…いうまでもなく,このような新しい地域支配権力の成立は帝国を崩壊させる危険を内包しており,事実13世紀以後ドイツにおいて実質的な国家としての機能を備えるにいたったのは帝国ではなく,これらの領域支配国家であった。1356年の〈金印勅書〉はランデスヘルの至高権majestasを保障し,帝国からのラントの独立を完成させたものであった。 15~16世紀末まではランデスヘルはラント内を常に移動しながら統治を行っていた。…
…1158年のロンカリア帝国会議では,すべての交通路(道路ならびに河川)に対する高権,あらゆる種類の裁判収入,没収所領,租税,森林,狩猟・漁猟権,埋蔵資源もまたレガーリエンに含まれることになった。その後,領邦国家への発展過程で,一連の特権付与(1220年,31年の二つの諸侯法,1356年の金印勅書など)により,レガーリエンの多くはランデスヘル(領邦君主)の手中に帰し,さらに彼らは明確な特権付与を待たず,事実上その権利を行使したため,帝国の手には道路・河川高権,また限られた地域での貨幣鋳造権,関税徴収権しか残らない状態となった。レガーリエンは19世紀に消滅するが,形を変えて近代国家の専売権として生き残った。…
※「金印勅書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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