メルボルン・オリンピック競技大会(読み)メルボルン・オリンピックきょうぎたいかい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

メルボルン・オリンピック競技大会
メルボルン・オリンピックきょうぎたいかい

オーストラリアメルボルンを開催都市として行なわれた第16回オリンピック競技大会。1956年11月22日から 12月8日まで開催され,67ヵ国から 3500人が参加した。初めて南半球で開催されたオリンピックとなった。大会直前の 10月にハンガリー動乱,続いてスエズ動乱が勃発し,ハンガリー動乱の影響でオランダ,スペイン,スイスが,スエズ動乱の影響でエジプトイラクレバノンが大会をボイコットする波乱の大会となった。馬術プログラムは,ウマの移入には 6ヵ月の検疫期間が必要というオーストラリアの制度に国際オリンピック委員会 IOCが気づくのが遅れ,日程を前倒しして 6月にスウェーデンストックホルムで開催された。金メダル数では,種目数の多い体操競技とレスリングで多くの優勝者を出したソビエト連邦が 37個を獲得し,アメリカ合衆国の 32個を上回った。オーストラリアは 13個の金メダルで 3位につけた。その原動力となったのは,水泳競技の 400m自由形と 1500m自由形,800mリレーで優勝したマレー・ローズ,100m自由形と 400mリレーを制したドーンフレーザー陸上競技の 100m,200m,400mリレーで金メダルを獲得したベティ・カスバートなどだった。日本選手では,水泳 200m平泳ぎの古川勝,レスリング・フリースタイルのフェザー級笹原正三,同じくウエルター級池田三男,体操の鉄棒小野喬が優勝して 4個の金メダルをもたらした。なお,閉会式で参加選手が国別でなく個々に入場行進し友好と親善を深める方式は,この大会から始まった。

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