体操競技における男子器械種目の一つ(鉄棒運動)。また、その器械名。「ドイツ体操の父」といわれるF・L・ヤーンによって創案されたが、1812年に初めて使用された当時の棒(バー)は木製の丸太棒で、直径は8センチメートルと太く、運動内容は単純であった。よく知られている「け上がり(両足をそろえて足首を鉄棒に近づけ、腰を伸展する反動で上がり支持する技)」は、1850年、クンツKarl Kunzによって考案されたものである。
現在の鉄棒器械は、直径2.8センチメートル、長さ240センチメートルの鋼鉄でできたバーが、床面からの高さ280センチメートルの支柱に固定されるもので、使用するマットの厚さは20センチメートルである。競技に採用される高さは、各競技会のルールによって定められているが、鉄棒の弾性については国際体操連盟(FIG:Fédération Internationale de Gymnastique)が規格を定めており、FIG主催の公式競技会では、試合直前に採用器械の規格適正の有無を厳しくチェックしている。
演じられる技は、支持技系、振動(体を振る)技系、手放し技系に大別される。鉄棒をさまざまな握り方(順手、逆手、片逆手、大逆手、片大逆手など)で行う振動中心の運動で、鉄棒の周りで握り換えや両手を放してふたたび握る大小多様な回転技(大車輪など)、背面懸垂の技、ひねり技など多彩な変化に富む技を駆使して演技構成する。
日本に鉄棒が輸入されたのは1868年(明治1)のことで、当時の鉄棒は直径が3.5センチメートル近くと太かったため、演技も上水平や前水平、あるいは倒立のような力技、静止技が多い時期もあった。
2017年のルール改正により同一グループ技を最大5回まで実施することが認められ、雄大な手放し技(トカチェフ、コバチ、コールマン、カッシーナ=伸身コールマンなど)や手放し技の連続による組合せ加点を得てDスコア(演技価値点)を高める傾向にある。鉄棒は、体操競技男子種目の華ともいわれている。1896年の第1回オリンピック・アテネ大会よりオリンピック種目(種目別)となった。
[三輪康廣・後藤洋一 2020年2月17日]
器械運動の一種,鉄棒運動に使用する器具。英語ではホリゾンタル・バーhorizontal bar(水平棒)という。近代的な体操の創始者の一人とされるドイツのF.L.ヤーンが,1812年にハーゼンハイデの体操場に設置したレックReckが,その原型とされる。レックは太めの木製の丸太棒で,懸垂や上がり方や回り方や下がり方などの技が生み出された。バーはやがて木製から鉄製に改められ,細いものになり,技も多様に発展した。日本では,明治時代初期にまず兵士の訓練のために取り入れられ,その後学校体育に不可欠のものとなった。第2次大戦前は,国家主義的教育のもとで,姿勢の保持や体力づくりを目的として行われたが,最近は体操競技のなかの鉄棒競技の影響も受けて,多様な上がり技,回転技,下がり技を組み合わせた連続技により美的表現が追求されるようになっている。
→体操
執筆者:中森 孜郎
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…このように,体操を近代科学(生理学,解剖学など)に基づいて理論化し,方法化しようという傾向はデンマーク体操にも受け継がれ,その後の北欧体操の発展の方向を決定づけることになった。一方,ヤーンのトゥルネンは政治的な非合法活動であるとして,ときのプロイセン政府から弾圧(1820年,トゥルネン禁止令)され,政治色を抜きにした純粋な運動技術の習熟をめざすことになり,水平木棒(今日の鉄棒),平行棒,あん馬をはじめとする器械運動に活路を求めた。また,学校教育のなかに体操を導入しようとしたシュピースA.Spiess(1810‐58)は身体運動を〈関節の可動性の原理〉に従って部分運動に分類し,やさしい運動からむずかしい運動を段階的に習得する徒手体操を体系化した。…
※「鉄棒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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