モシ王国(読み)モシおうこく

改訂新版 世界大百科事典 「モシ王国」の意味・わかりやすい解説

モシ王国 (モシおうこく)

西アフリカ内陸のサバンナ地帯,現在のブルキナファソ(旧,オートボルタ)に,おそらく15世紀中ごろから形成されたと思われるモシ族Mossiの王国。伝承によると,ガンバガ(現ガーナ北部)の男まさりの王女が馬に乗って出奔し,荒野で北方から来た狩人と結ばれて生まれた男の子ウェドラオゴ(牡馬の意)が始祖とされる。ウェドラオゴはガンバガから多くの騎馬の戦士を引き連れて北へ進み,弱小な農耕民を支配して,両者の通婚からしだいにモシ族が形成されたといわれる。現在のガーナ北部にあたる地方にその後発達した,マンプルシ,ダゴンバの2王国は,王の祖先の系譜だけでなく,言語,基層文化などもモシ王国と共通している。モシ王国の内部でも,共通の祖先から分かれた王族が各地に割拠し,独立の王(ディマ)の下に従属者長(コンベーレ),その下に村の長(テン・ナーバ)という3層の支配構造を形成した。モシの王制は,もともと騎馬の戦士である王族による,農耕民の軍事的支配という性格が強いが,王権(ナーム)を,万物の根源的力(ウェンデ)に裏づけられたものとみる観念も,王制のイデオロギー的支えとなっている。王直属の軍事指揮官はいるが,常備軍はなく,経済的な面では制度化された貢納はなく,王の畑の耕作の労働力の提供が,臣下の奉仕のおもなものだった。19世紀末のフランス軍の侵入当時,北部(ワイグヤOuahigouya),中部ワガドゥグOuagadougou),南部テンコドゴTenkodogo)の三つが強大な王国として存在し,植民地統治下においても,フランスは,これらの王制をむしろ強化して統治に利用した。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「モシ王国」の解説

モシ王国(モシおうこく)
Mossi

15世紀以降,西アフリカ,現ブルキナファソ地域に形成されたモシ人の王国。現ガーナ北部から騎乗の征服民として到来,現地農民に支配を及ぼした。北部(ワイグヤ),中部(ワガドゥグ),南部(テンコドゴ)の3王国が特に強大で,全部を総称してモシ王国といわれる。ブルキナファソ共和国では今でも王が伝統勢力として影響力を有する。

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世界大百科事典(旧版)内のモシ王国の言及

【ブルキナ・ファソ】より

…部族の移動・形成・変遷史は,最近部族集団ごとに復元の試みがなされているが,全貌が明らかになるにはほど遠い状態にある。一般的にいって,集権化されていない社会組織をもち,軍事的にも弱小な農耕民(セヌフォ族,ロビ族,ニョニョンシ族など)が古くから居住し,おそらく14~15世紀に南部(現在のガーナ北部)から騎馬の戦士集団に先導された住民の移動があって,中部のニョニョンシ族などを併合して一連の集権的なモシ王国が形成されたと考えられる。モシの王朝は枝分れして南部・中部・北部の三つの主要な王朝の支配が成立し,それぞれの王朝の分裂・移動・分枝の独立などによって大小さまざまな王国が興亡をくりかえした。…

※「モシ王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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