ヤコブレフ

百科事典マイペディア 「ヤコブレフ」の意味・わかりやすい解説

ヤコブレフ

ソビエト連邦ソ連)およびロシア連邦(ロシア)の政治家。ヤロスラブリ州生れ。ヤロスラブリ教育大学卒業。1944年にソビエト連邦共産党入党。1986年に共産党中央委員会書記となり,翌1987年から1990年には同中央委員会政治局員を務め,ゴルバチョフ政権時代のナンバー2としてペレストロイカ再建),グラスノスチ(情報公開)などを立案するとともに,これを推進した。1990年にゴルバチョフが新設されたソ連初の大統領になると,大統領会議メンバーとなって共産党の役職を離れ,1991年に大統領首席顧問となった。ソ連解体後の1992年にはロシア連邦大統領付属政治抑圧者名誉回復委員会議長に就任,ロシア社会民主党などの自由主義・民主主義系の会派に属し,プーチン政権の批判などを行った。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヤコブレフ」の意味・わかりやすい解説

ヤコブレフ
Yakovlev,Aleksandr Nikolaevich

[生]1923.12.2. ヤロスラブリ
[没]2005.10.18. モスクワ
ロシアの歴史学者,政治家。 1941~43年軍勤務。 1944年ソ連共産党に入党し,1946年にヤロスラブリ教育大学を卒業。 1953~56年および 1960~65年党中央委員会に務め,1958年~59年にはアメリカのコロンビア大学に留学,1960年に社会科学アカデミーで博士号を取得する。 1964~65年ソ連共産党中央委員会宣伝部ラジオ・テレビ放送課長,1965~73年党中央委員会宣伝部第一副部長。 1972年にソ連のナショナリズム反ユダヤ主義を批判する論文を発表して左遷され,1973~83年駐カナダ大使を務めた。 1983~85年ソ連科学アカデミー付属世界経済国際関係研究所 IMEMO所長,1985年党宣伝部長,1986~90年党書記,1987~90年党政治局員。ゴルバチョフ政権誕生後,政権最大のブレーンとしてペレストロイカ (改革) の理論的支柱となった。 1990年 16人からなる大統領会議メンバーとなったが,同年7月,党の書記と政治局員の任を解かれた。 1991年のソ連崩壊後は,歴史研究に携わった。

ヤコブレフ
Yakovlev, Aleksandr Sergeyevich

[生]1906.4.1. モスクワ
[没]1989.8.22. モスクワ
航空機設計者。第2次世界大戦中にソビエト連邦によって使用された戦闘機,ヤク Yakシリーズの設計で知られる。 1931年に空軍の工学学校を卒業するとすぐに,ピストンエンジンとジェットエンジンの航空機の設計を始め,第2次世界大戦の直前にヤク Yak-1戦闘機を設計した。最初のジェット戦闘機ヤク Yak-15は 1945年に設計され,ヤク Yak-17,ヤク Yak-23へと発展した。双発エンジンの輸送用ヘリコプタ,ヤク Yak-24「フライングワゴン」は大きな成功を収め,いくつもの世界記録を樹立した。第2次世界大戦後,ミグ戦闘機の人気が高くなると,民間航空機,特にスポーツ航空機の設計を手がけるようになった。ヤコブレフは 1938年からソ連共産党の党員で,1940年から 1956年まで航空機産業省の副大臣を務め,その後も主席設計者として活躍した。スターリン賞 (ソビエト連邦国家賞) を7回,レーニン勲章を8回受賞。 1976年にはソ連科学アカデミー会員となった。 (→ヤク戦闘機 )

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