ユン・イサン(読み)ユン・イサン(英語表記)Yun Isang

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ユン・イサン」の意味・わかりやすい解説

ユン・イサン(尹伊桑)
ユン・イサン
Yun I-sang

[生]1917.9.17. 統営(現忠武)
[没]1995.11.3. ベルリン
朝鮮生れのドイツの作曲家。 1939年大阪音楽学校に留学してチェロを学び,作曲を池内友次郎師事,第2次世界大戦中は反日運動に参加。 52年から韓国で教鞭をとったのち,56年渡欧し,パリ国立音楽院,ベルリン音楽大学で学び,64年以来ベルリンで作曲活動を行う。 67年スパイ容疑で KCIA (韓国中央情報部) に拉致され,韓国法廷で死刑を宣告されるが,ストラビンスキー,P.ブーレーズら世界各国の音楽家の尽力および西ドイツ政府の対韓強行措置により 69年解放されドイツに戻り,71年帰化した。 70~85年ベルリン芸術大学で教鞭をとる。作風は,朝鮮の伝統音楽や道教など東洋美学・哲学と西欧の現代音楽技法とを融合させたもので,管弦楽曲『レアク (禮樂) 』 (1962) に代表される「ハウプト・トーン (主要音) 」の技法を確立した。『チェロ協奏曲』 (76) 以降は社会性の強い作品が多く,5つの交響曲,4つのオペラなどがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ユン・イサン」の意味・わかりやすい解説

ユン・イサン
ゆんいさん / 尹伊桑
Yun Isang
(1917―1995)

韓国(大韓民国)出身のドイツの作曲家。1939年(昭和14)日本に留学、大阪音楽学校でチェロを、東京で池内友次郎(いけのうちともじろう)に作曲を学ぶ。52年帰国し、ソウル大学などで作曲を教えるが、56年渡欧。パリ国立音楽院、ついでベルリン音楽大学に学び、64年以後当時の西ベルリンに居を構え作曲活動を続ける。67年スパイ容疑を受け、本国に強制送還されて死刑を求刑されたが、69年釈放され、旧西ドイツに帰化した。その作風は、西欧の前衛的な語法と東洋や朝鮮の伝統音楽との融合を目ざすものである。ベルリン芸術大学の教授として、ベルリンに留学する日本の作曲家を数多く指導して、多大な影響を与えた。主要作品には室内管弦楽曲『洛陽(ローヤン)』(1962)、オペラ『邯鄲(リュートン)の夢』(1965)、オーケストラオルガンのための『次元(ディメンジオーネン)』(1971)などがある。

船山 隆]

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