ライプチヒの戦い(読み)ライプチヒノタタカイ(その他表記)Battle of Leipzig

デジタル大辞泉 「ライプチヒの戦い」の意味・読み・例文・類語

ライプチヒ‐の‐たたかい〔‐たたかひ〕【ライプチヒの戦い】

1813年、プロイセンオーストリアロシアの同盟軍が、ライプチヒとその近郊で、ナポレオン1世のフランス軍を破った戦い。この結果ナポレオン失脚が決定的となった。諸国民戦争

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精選版 日本国語大辞典 「ライプチヒの戦い」の意味・読み・例文・類語

ライプチヒ の 戦(たたか)

  1. 一八一三年一〇月、プロイセン・オーストリア・ロシアの連合軍がナポレオン一世を撃破した戦い。解放戦争最大激戦で、「諸国民の戦い」ともいわれる。ナポレオンの失脚を決定的にし、ライン連邦・ウエストファリア王国は解体、翌年連合軍はパリを占領した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ライプチヒの戦い」の意味・わかりやすい解説

ライプチヒの戦い
ライプチヒのたたかい
Battle of Leipzig

1813年 10月 16~19日にナポレオン軍と反ナポレオン連合軍との間で戦われたナポレオン戦争中最大の会戦。「諸国民の戦い」とも呼ばれ,ロシア遠征に失敗したナポレオン1世に対する解放戦争の方向を決定づけた。オーストリア,プロシア,ロシア,スウェーデン軍から成る 32万余の連合軍に対して,19万と劣勢のナポレオンは,連合軍の集結前にその各個撃破をねらって 10月 16日攻勢に出たが逆に押返され,ようやく戦線を維持した。 18日連合軍は総攻撃をかけ,日没までに市の外郭陣地の大半を陥落させ,ナポレオンは夜のうちに主力を率いて撤退。連合軍の損害約5万 5000,フランス軍のそれは6万に上った。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ライプチヒの戦い」の解説

ライプチヒの戦い
ライプチヒのたたかい

1813年10月,プロイセン・オーストリア・ロシア同盟軍がナポレオン軍を破った戦い
いわゆる解放戦争中の最大の決戦で,「諸国民戦争」の名で呼ばれている。

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