日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ラディカル・エコノミックス
らでぃかるえこのみっくす
radical economics
アメリカを中心として1960年代後半から生じた政治経済学の新たな潮流の総称。とくに、既存の経済学をラディカルに批判し、社会的で歴史的な現実を有効に説明し、現状を変革するための用具となりうるように、経済学を革新しようとするアカデミックな運動である。この名称は、1968年秋、ボールズSamuel Bowles(1939― )、ギンタスHerbert Gintis(1940―2023)、マーグリンStephen Marglinらを中心とするアメリカの若手経済学研究者によって結成された「ラディカル政治経済学連合」Union for Radical Political Economy(URPE)に由来している。「ラディカル・エコノミックス」の名前は、もともとURPEに属する経済学者の経済学あるいはそれと強い親近性をもつ政治経済学を意味していた。アメリカでこのような動きが生じた直接的な時代背景は、1960年代後半から都市問題、人種問題、公害・資源問題、ベトナム戦争の拡大、悪化し続ける国際収支問題などが深刻なものとなったことによって、複雑な現実に対する既存の新古典派経済学の説明能力が疑問視されるようになったことである。さらに、1971年12月のアメリカ経済学会年次大会でのJ・V・ロビンソンの講演「経済学の第二の危機」がこれに拍車をかけ、このころから「経済学の危機」とその再生の必要性が叫ばれるようになった。「ラディカル・エコノミックス」の名称は、その後より一般的なものとなり、資本主義経済を調和のとれた最適な体制として肯定的に受け止める既存の新古典派経済学を批判し、経済学のなかに社会的、政治的、歴史的考察を積極的に導入し、経済学を本来あるべき姿に向かって変革しようとする動き一般をさすようになっていった。主要な研究対象は、経済諸制度の社会的性格や個人の社会的被拘束性、企業内ヒエラルキー組織と労働過程、労働市場の分断化などである。こうしたなかで、1980年代前半には、アメリカのラディカル派経済学者の中心的メンバーによって、「SSA(社会的蓄積構造)理論」も生み出され、その集大成が、アメリカの「戦後コーポレート・システム」の形成と瓦解(がかい)を分析したボールズ、ゴードンDavid M. Gordon(1944―1996)、ワイスコフThomas E. Weisskopf(1940― )の共著『荒れ地を超えて』(邦訳書名:アメリカ衰退の経済学)である。また、多岐にわたるラディカル・エコノミックスの研究領域のなかで、1990年代以降、理論的研究も大きく発展し、労働市場と信用市場における権力関係を論じた「抗争交換理論」などのミクロ経済理論の展開もみられる。そして、このような研究の沿線上に、サンタフェ研究所で共同研究を開始したボールズによって推進されている「進化的社会科学」に基づくミクロ的制度理論の新たな発展がある。
[植村博恭]
『青木昌彦編著『ラディカル・エコノミックス』(1973・中央公論社)』▽『A・リンドベック著、八木甫訳『ニュー・レフトの政治経済学』(1973・日本経済新聞社)』▽『H・シャーマン著、宮崎犀一・高須賀義博訳『革新の政治経済学』(1974・新評論)』