精選版 日本国語大辞典 「風俗画」の意味・読み・例文・類語
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日常の現実生活に取材した絵画。17世紀末、歴史画、神話画、宗教画などの「大テーマ」を扱う作品に対して、日常風俗や静物、動物などを題材とする絵画を「小さな部門」genre mineureと批評家たちが区分したことに語源をもつ。18世紀フランスの家庭的・教訓的題材を描いた画家グルーズが、アカデミーに「ジャンルの画家」として受け入れられたときこの用語は定着し、19世紀に、市民生活が印象派の画家たちによって数多く取り上げられたとき一般化した。西洋では単に「ジャンル」ともよばれている。
しかし歴史的には、宗教、象徴主義、寓意(ぐうい)的表現などと複合しつつ、古くから風俗画の展開がみられる。古代エジプト墳墓の壁画や浮彫りなどに描かれた、農耕・狩猟など日常生活や労働を表す作品、古代ギリシアの壺絵(つぼえ)や墓碑浮彫りの生活情景、ローマの壁画やモザイクのそれなど、いずれも、風俗的情景の描写への関心が絵画的描写の重要な部分であったことを示している。中世後期、フランドルでもイタリアでも、宗教画は同時代の室内・服装・風俗の設定で描かれることがしばしばあり、大聖堂の「月暦(つきごよみ)の労働」を表す彫刻も風俗描写をみせている。なかでも手写本装飾画は、月暦の表現でほとんど純粋な風俗図をみせてくれる。ランブール兄弟による『ベリー公のいとも豪華なる時祷書(じとうしょ)』などがその代表例である。
16世紀は、宗教画の風俗的設定の傾向をいっそう進めるとともに、「五感」「虚栄」などの寓意的表現を風俗描写に託し始める。
しかし、17世紀に、イタリアのカラバッジョ、オランダのレンブラント、フェルメール、ピーテル・デ・ホーホ、フランスのルイ・ル・ナンなどの多くの画家たちが、日常生活の現実性を高い絵画的表現にもたらし、真の意味での風俗画が生まれる。「高貴で偉大」な宗教画や神話画、あるいは壮大な装飾画に並んで、日常性の描写が新教・旧教のいずれの国々にも多くみられるが、このことは、この時期における市民生活の充実とその自覚を示すものと考えられる。18世紀においても、この傾向は、ワトーのなかば夢想的表現、シャルダンの静かな現実直視、ホガースの風刺的表現など、多様な幅をもって展開し、19世紀以降の市民生活の確立、日常性の賛美のなかで生まれる写実主義、印象主義によって、もっとも主要な絵画ジャンルの一つとなる。
日本においても、年中行事絵巻、縁起絵などの形で平安時代から風俗描写がみられるが、独立したものとしては、洛中(らくちゅう)洛外図、祭礼図、遊楽図などが中世末から行われ、この流行は江戸時代の浮世絵の隆盛へとつながってゆく。
[中山公男]
風俗を主題とする絵画作品。日本では16世紀に始まる。風俗描写自体は,古代以来,月次絵(つきなみえ)や名所絵・絵巻物などに数多くみられたが,風俗描写が前面に押しだされてくるのは室町時代の後半頃で,独立した風俗画の誕生となる。桃山時代から江戸初期の近世初期風俗画は襖絵(ふすまえ)や屏風絵を中心に展開。洛中洛外図をはじめとする各種の風俗画が,上方でおもに狩野(かのう)派を中心に制作されるが,しだいに関心の対象をしぼりこみ,個々の人物そのものへ目をむけるようになる。同時に,風俗画の担い手は民間の絵師たちへと移行していく。17世紀後半に至って風俗画の中心は江戸に転じ,浮世絵師によって継承・発展した。
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…江戸を中心に発達し,江戸絵ともいう。絵画様式の源流は遠く大和絵につながり,直接的には近世初期風俗画を母胎としている。町人の絵画として,武家の支持した漢画系の狩野派とは対立するが,様式の創造的な展開のために,その狩野派をはじめ土佐派,洋画派,写生画派など他派の絵画傾向を積極的に吸収消化し,総合していった。…
…また木版画,銅版画,石版画などの版画,あるいはその応用としての挿絵,ポスターなども,色と形による平面の造形芸術であるかぎり,絵画の一分野と考えられる。絵画の分類としては,画材,形式による分類のほか,主題による分類(歴史画,肖像画,風景画,静物画,風俗画等),社会的機能や役割による分類(宗教画,装飾画,記録画,教訓画等),地理的分類(イタリア絵画,フランス絵画,インド絵画等),歴史的流派や様式による分類(ゴシック絵画,バロック絵画,古典主義絵画,抽象絵画等)などがある。
[絵画の起源]
古代ギリシアのある伝説は,絵画の起源を次のように語っている。…
…信長の没後,永徳は豊臣秀吉に仕えて大坂城,聚楽第,御所などの障壁画を次々に手がけた。狩野派は,元信以来桃山期に最も流行する花鳥画と風俗画に積極的に取り組み,花鳥画では永徳の巨木による大画様式が当時の基本的構成法となって,狩野派のみならず長谷川派や海北友松などの他流派にも影響を与えた。また,風俗画は土佐派などやまと絵の中で生まれたものであるが,それを発展させたのは狩野派であり,秀頼(元信の次男,生没年不詳)の《高雄観楓図屛風》や長信(永徳の弟,1577‐1654)の《花下遊楽図屛風》をはじめとして,桃山期の代表作を残している。…
…このようなジャンル確立の原理や歴史的発展法則の究明は芸術研究の主要課題の一つであり,ブリュンティエールは文学史におけるジャンルの展開を生物の進化と類比的に論じて名高い。なお絵画では日常生活や習俗を描く風俗画をジャンルと呼ぶこともある。様式【細井 雄介】。…
…その中で《歌舞伎(中村座内外)図屛風》《見返り美人図》(いずれも東京国立博物館)などは師宣自身による作品と推定されている。版画,肉筆画の両分野にみずから開発した風俗画様式の普及を徹底させた師宣は,以後発展する浮世絵派の実質的な開祖,元祖と呼ぶにふさわしく,多大の影響を後世に及ぼした。【小林 忠】。…
…31年にアントウェルペン(アントワープ)に移転,同地で早世。ブリューゲル以来のネーデルラントにおける農民風俗画の伝統の,17世紀における最大の継承者で,居酒屋にたむろして飲酒,喫煙,ばくちにふけり,大げんかをする農民たちは,素朴な力強さと人間臭さにあふれるものとして小画面ながら迫真的に描き出されている。しかも,洗練された色彩感覚と自由な筆触,色調の微妙な変化による表現は,粗野な主題を扱いながら新鮮な絵画的魅力に満ちた作品を生んでいる。…
…この時代の絵画は宗教画が主体(ほかには肖像画)であるが,そこでたとえば〈聖告(受胎告知)〉の場面が当時のフランドル市民の室内に置かれているとしても,室内の事物は,たとえばタオルと水差しがマリアの純潔を表すというように,たいてい象徴的意味を宿している。中世の象徴的思考法と現実への新たな関心とを融和させたこの〈偽装象徴主義disguised symbolism〉は,17世紀オランダの風俗画や静物画にも継承されてゆく。 初期フランドル絵画の最大の巨匠でその輝かしい伝統の祖となったのは,ブリュージュのブルゴーニュ公宮廷に仕えたヤン・ファン・アイクである。…
※「風俗画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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