日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラフサンジャニ」の意味・わかりやすい解説
ラフサンジャニ
らふさんじゃに
Ali Akbar Hashemi Rafsanjani
(1934―2017)
イラン最高評議会(国会と護憲評議会の調整機関)議長。第4代大統領、神学者。ケルマーン州に生まれ、14歳からコムの神学校に学ぶ。ホメイニの影響を受けて、28歳でイスラム革命運動に加わり、五度の逮捕歴をもつ。1979年のイラン革命後、革命評議会メンバーに選ばれ、同年11月から内相。1980年5月、国会議員に当選し、同年7月に初代国会議長に選出された(1986年6月再選)。1988年6月には軍最高司令官代理(司令官は最高指導者)に就任、正規軍と革命防衛隊の事実上の責任者となる。1989年6月に死去した最高指導者ホメイニの後任にハメネイ(当時大統領)が選ばれたため、最高評議会議長を継いだ。同年7月の大統領選挙で初当選、1997年8月まで2期務めた。同年3月、最高評議会議長に再選。2000年2月の総選挙に出馬、最下位で滑り込み当選したが、開票時の疑惑を指摘され、同年5月の新国会を前に辞退した。ハメネイとともに保守派の実力者とみられているが、2005年6月の大統領選挙でアフマディネジャドに敗れた。
対米強硬論者としても知られ、2001年10月にアメリカの炭疽(たんそ)菌事件について「アメリカはイラン・イラク戦争でイラクに炭疽菌を提供、そのことで代償を支払わされている」と述べ、「悪の枢軸」発言(大量破壊兵器の開発でアメリカに脅威を与えている「テロ支援国家」としてイラク、イラン、北朝鮮を、アメリカの大統領G・W・ブッシュが名指しで非難した一般教書演説での発言)後の2002年2月には「ブッシュ大統領は恐竜のような頭に、スズメ程度の脳みそしかない」と酷評した(いずれもテヘラン大学での演説)。1985年(昭和60)7月に来日。
[奥野保男]