日本大百科全書(ニッポニカ) 「ランコビッチ」の意味・わかりやすい解説 ランコビッチらんこびっちAleksandar Ranković(1909―1983) 旧ユーゴスラビアの政治家。セルビア南部出身。労働運動を経て1928年に共産党に加入、1937年にセルビアの党書記に任命され、パルチザン戦争指導部にも参加した。1946年内相、1953年副首相、1963年副大統領となり、1960年から党書記をも兼任し、チトーの後継者とみられたが、1966年に保安機関を使って自主管理制度を妨害していたとして、その地位と党から追放された。[木戸 蓊][参照項目] | チトー 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ランコビッチ」の意味・わかりやすい解説 ランコビッチRanković, Aleksandar [生]1909.11.28. ベオグラード近郊ドラジェバッツ[没]1983.8.19. ドブロブニークユーゴスラビアの政治家。 1928年共産党に加入,数回の入獄を繰返した。チトーの側近としてセルビアで活躍し,40年党政治局員に就任。第2次世界大戦中はパルチザン戦争の指揮官の一人。 46~53年副首相兼内相として秘密警察網を完成。 60~63年共産主義者同盟書記長,63~66年副大統領。チトーの後継者の一人といわれたが,政治,経済改革に反対,また秘密警察を濫用したため,66年7月に解任され,共産主義者同盟からも追放された。 ランコビッチRanković, Svetolik [生]1863.12.7. モシュタニツァ[没]1899.3.18. ベオグラードセルビアの小説家。短編集『人生の絵図』 Slike iz života (1904) ,長編小説『森の王』 Gorski car (1897) ,『ついえた理想』 Porušeni ideali (1900) などがある。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
百科事典マイペディア 「ランコビッチ」の意味・わかりやすい解説 ランコビッチ ユーゴスラビアの政治家。労働運動や非合法共産党活動に従事し1929年―1935年逮捕。第2次大戦中,対独抵抗運動を指導し独軍に捕らえられた。戦後は内相,副首相,ユーゴ共産党書記としてチトーに協力,国内治安確保に活躍,1963年―1966年副大統領。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by